post90:第三章 ネットワーキングの力 一冊五万八千円の本
第三章 ネットワーキングの力
一冊五万八千円の本
地方で、その地域内の人達に「お前達のやっていることは本物だ」と認めてもらうためには、まず、東京の人達に「本物だ」認めてもらうことが重要なのは、どこの地方でも同じだろう。そういった中央の判断に頼るような風潮は、一極集中文化の弊害であるのだろうが…。大分もそうであって、大分の人達にコアラを認めてもらうためには、まず、東京で認知してもらう必要性がある。
また、現状のコアラシステムを多回線化するにあたっての先進的技術情報や、先進的地域事例情報は、残念ながら大分では入手しにくく、情報が集まっている東京がどうしても気になってしまう。そういった思いから、平松知事のコアラ名誉会長就任例会が終わった数日後、後藤カイチョーに「これから先の発展を期すならば、どうしても東京に出てみたい」と申し出た。するとカイチョーは、 「そうだねー。藤野君も東京特派員でいることだし、せっかくここまできたんだから、少しはやってもいいかな、知事もあそこまでいってくれるのだから。ただし、尾野君、肩の力を抜くんだよ。君は熱中するタイプだから、楽しくやるんだよ。おもしろ半分に、ネアカ、ハキハキ、マエムキにやるんだよ。〝遊び〟だよ。」という返事。
さもあらん、私の性格をよく知っている。
当時は、東京のネットといえばアスキーネットとテレスター、JALNET、EYE-NETなどであってPC-VANもNIFTY-Serveもまだ始まっていない。なかでもやはりアスキーは先進的であって、本業のパソコン専門雑誌発行を通じて我々にさまざまな影響を与え続けている。そのアスキーの、熊本で焼酎を飲み交わした高橋さんが電話をくれて、ちょっと相談があるのでチャンスがあったら東京に出てこないかという。この世界ではアスキーに認められることは東京に認められる第一歩である。技術的な話もいろいろと聞きたい。ぜひとも東京に行かねばならない。
年末から新システム構築のためにさまざまな資料を集めていたが、それはハードの資料にとどまらなかった。実際の運用に参考になりそうなものや、地域ネット事例、さらには〝コミュニケーションサービス〟に的を絞った資料など、かなり徹底して集めて回っていた。そういった資料収集中に、定価五万八千円!でアメリカの実態調査報告書が売られている、と聞いた。当時の私にとって一冊五万八千円の本は高い!万年金欠病的な状態だし、仕事でなく〝遊び〟で五万八千円の本。それだったらモデムを一台買いたい、というのはやはり技術系の発想か。かなり迷ったのだが、その報告書の副題として〝データベースからコミュニケーションへ〟と紹介されていたのが決心へとつながり、思い切って連絡先に電話してみた。著者はおらず、応対の女性はすまなさそうだった。不在であるのが申しわけないと思ったのか、その本の値段が高いことでそう応対してくれたのか。しばらく経って、著者から電話がかかってきた。株式会社としてのネットワーキングデザイン研究所を設立しようとしていた会津泉さんとのファースト・コンタクトである。会津さんは、パソコン専門誌ではない一般月刊誌『BOX』にパソコン通信をテーマに毎月連載しているとのことで、それだけ状況も詳しく、彼の話は、まさに我々がこの数カ月間考えてきたコミュニケーション優先論であって、日本では聞けないアメリカのそういった事例がたくさん含まれていた。また、送られてきたき五万八千円の本にはそれらが詳細にしるされ、さらにコミュニケーション優先である場合のシステムデザインの参考になる事例もあったりと、おおいに興奮した。
そればかりでなく、会津さんは、アメリカでの事例と同様のことが東京ではなく地方都市大分で起っていることにいたく興味を持ったようで、コアラに入会を申し込んできた。ふーん、これはおもしろい。そして、二月二十六日に「国際通信研究会」を東京平河町の日本都市開発センターで行うので参加しないか、という案内が別途送られてきた。当日は、考えが同じような人達も集まってくるという。 これはチャンスだと、上京を決意した。そして、その東京行きは新しい展開を次々と広げていくすばらしいチャンスとなった。
その会合で会津さんから、ネットワーキングデザイン研究所の同僚の中村広幸さんや『日経パソコン』の林さんを紹介をされた。私にとっては、さまざまな雑誌でよく名前を見かける人達だ。中村さんは技術的なことを中心によく記事を書いていたし、林さんは『日経パソコン』でアメリカのパソコン通信をシリーズを取り上げ続けていた。私は一度ぶしつけに、彼に電話でアメリカに行ってパソコン通信する方法を尋ねたりしたこともあって、一方的に親しみを感じていた。しかしいま思えば、その日は彼らの話を聞くよりも、東京特派員藤野君と一緒になってコアラのことを一生懸命説明していたように思う。大分から持参した一村一品の麦焼酎のおかげか、皆さんよく聞いてくれた。彼らは英語が自由に使える人達ばかりのようで、英語の世界で起っているパソコン通信による変革が日本語世界で起っていないことに苛立ちを募らせていたところ、東京から遠く離れた大分で日本語、それもローマ字やカナではなく、まったく漢字ベースでパソコン通信が一般人主体に行われていることにおおいいに興味を示した様子だ。とくに、平松知事までが積極的に参画し始めたことには感銘まで受けた様子であった。そして、それぞれにあちこちの雑誌などでコアラのことを紹介してくれるという。これこそまず願ったりのことで、東京の人達に認められたということであり、「我々のやっていることに間違いはない」とおおいに勇気づけられもした。帰りは藤野君と手を取り合って喜んだ。
そして、その夜に話したことをベースに会津さんが、四月発売の『BOX』五月号に「今、大分のコアラが注目度ナンバーワンのネットワークだ」と大きく取り上げてくれた紹介記事は、我々が小躍りしてしまう〝応援歌〟であったし、第三者がはじめて我々を意義づけてくれた重要な出来事でもあった。大分で『BOX』を買いあさり、あちらこちらに配ってまわったのは当然のことだ。

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