post88:ユーザー本位、コンピュータは友達
ユーザー本位、コンピュータは友達
後藤カイチョーは、新聞やテレビはマス・インフォメーションであって、本当のマス・コミュニケーションはこういったパソコン通信ではないか?また、こういったパソコン通信を中国の文化革命当時の壁新聞をイメージして〟電子壁新聞コミュニケーション〟とも呼んだ。呼ぶだけでなく、その考えを掘り下げるべく、当時、大分きっての中国通である日本銀行の高向支店長に、コアラのことを説明しつつ、コアラ会員向けに中国の壁新聞とコアラを比較して何か書いてくれと依頼し、その内容を実際に「スタジオCOARA」に代理で書き込んだりと、内に外に大活躍だ。
さらにまた、基本的な問いかけも出してくる。
データベース主体のイメージのある地域INS(インフォーメーション・ネットワーク・システム)指向から、コミュニケーションを表(おもて)にした地域CNS(コミュニケーション・ネットワーク・システム)指向へ心変わりしてしまった我々の発想を〟逆転の発想〟と捉えて、「尾野君、どうして人間が端末で機械がホストなんだい?その発想を逆転しないといけないのではないかい?」と言いだした。つまり、
「国鉄や航空会社の大型コンピュータと、各窓口の定型業務はホストとターミナルと呼ぶかもしれないが、パソコン通信の場合、あちらさんが主人というのではなく、関係はむしろ逆転している。中央設置のコンピュータは、いわばみんなの共同使用人であり、かわいい受付嬢であり、有能な秘書であり、図書館の司書であり、旅行や食事のコンサルタントであり、聞き上手なカウンセラーであり、間違いのないメッセンジャーボーイだ。どんなプラカードも持ち歩いてくれる街角のサンドイッチマンにもなってくれるし、これからは、おしゃべりの相手も捜してくれようというものだ。ホストと呼ぼうが端末と呼ぼうが実体に変わりはないにしても、システムを構築するうえでは大違い。主人(ホスト)は威張っている。寡黙で、不親切。家来(端末)がついてこれなければ、ついてこれない家来が悪いという。COARA-1は、今までの流れでそうなったけれど、今度つくるCOARA-2では、あちらさんをホストと呼ぶのはやめてみませんか?」
といい、徹底したユーザー本位、利用者が主人公である仕組みをつくるよう方向を示した。それも並大抵ではない。私自身は、コロンブスシステム検討会でメーカーさんらと丁々発止議論してきたように、ユーザー的見方をしている、と自画自賛自負していたのに、彼流の見方では、私の説明は、
「技術用語が出てきすぎてわからない。リターンキーって何のこと?」
「ああ、君がつくるマニュアルはわからん。いっそのことウェイトレスの緒方さんがつくったほうがいいかもしれん」
ということになってしまった。そして、実際に彼女につくらせたマニュアルは好評で私の奥さんまでが、
「これがいい。あなたの説明はおもしろくないし、説明がわからないと聞いているほうが悪いように思うもの」
と決定打を打ってくる始末。その奥さんも人へ教える時は、
「わからなくなってイライラしたら迷わずパソコンの電源を落として一度終わらせましょう。そして最初からやりなおしましょう」
なんていう説明をする。世の中に〟異常終了〟を勧めるマニュアルなんてあるものか、と、思うのだけど、初心者にとってはもっとも安心な一言らしい。とにかく徹底した一般人本位、ユーザー本位であらねばならないことが、この電子会議で強く再確認された。
私にとっての個人的コアラ感もこの議論の中で整理されていった。
コアラを構築して行くことは、結局は、学生時代のSFの世界を追い求めているということなんだろうなぁと思え、とくに私にとっては、一九六六年頃に書かれたロバート・アンソン・ハインラインの『月は無慈悲な夜の女王(原題:The moon is a harsh mistress)』という小説に出てくる世界が頭のなかに渦巻いている。舞台は二○七六年七月四日、月世界植民地が地球政府に独立を宣言し、革命的に独立に成功する(まさに地球〝中央〟文化に対する辺境カウンターカルチャー革命だ)という、実にアメリカっぽいストーリなのだが、そこには主人公並にコンピュータが登場。どうやらIBM製らしいのだが、主人公達のコミュニケーションを電話線を介して伝言や会議、さらにはバーチャル映像まで使って補助し、かつ、データベース機能やシュミレーション機能がコミュニケーション機能の中に自然な形で取り込まれている。まさに、ホストやサーバーという関係を越えた〝友達〟と呼ぶべきコンピュータネットワークが描かれていた。
かたや我々が体験中のパソコン通信のコミュニケーション交遊は、まさにネアカな友達づくりであって、信頼そのものの増幅であり、そういったことから我々が目指すシステムは、ハインライン流に「コンピュータ=人間の友達」であることを前提にした設計コンセプトをぜひとも考えていきたい、とスタジオに書き込んでいる。
また、本質的な問題として、パソコン通信の双方向コミュニケーション機能についてや、人類史上はじめて個人が組織などからの強大な一方的発言から開放されるメディアであることの意義とか、その個人の発言はどういった場合に削除が許されるのか?といったモラル論。
さらには、パソコン通信は文章表現がゆえに書きよう読みようによっては、結局は反対なのか・賛成なのか?、伝達なのか・発表なのか・問い合わせなのか?、まとめられるのか・多数決か・合意か・決定とは何か?小さな地域では匿名ではコミュニケーションが成り立ちにくく、実名コミュニケーションのメリット・デメリット、オフラインと通信活性化の関係、といったメディアの特質論など多岐に渡って議論されている。

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