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第二章 電子コミュニケーションの誕生
テストアクセスの日々
どうにかこうにかスタートしたものの、思いも掛けず新聞やテレビに大きく取りあげられ大騒ぎになってしまったことは、励みではあるがちょっとしたプレッシャーでもある。「なんだ、あいつは口先だけだったんか」ということが、当日の30人だけでなく、全県下が対象となるということでもあるし、自分の所属する会社にも影響が出てしまっては困る。会社の誰にも相談せず気軽に始めたわけだから、つまりは、自分一人が負わねばならないプレッシャーということだ。何が何でもどうしても大至急ホストシステムをつくってしまわねばならない。まずは、情報センターから貸してもらうことになったパソコン本体以外の設備を整えること。
発起人会で月々一人、千円の会費が決った。言い換えると年間三十万円ほどの予算が確保できたことになる。
その枠内で考えようとするが、二十四時間運転に必須のハードディスクと電話回線一本、受信用モデム一台が最低限いる。ハードディスクは10メガバイトのもので約四十万円するし、電話回線は約八万円。パソコン側から制御できるタイプのホスト自動運転用受信モデムは、四月頃から市場にパンフレットとして出始めたばかりの状態。
とくにモデムは今のようにモデム単体ではなく、電話機一体型で、ほとんどが『半二重1200ボー』機能を売物にし、附属的に『300ボー全2重』機能がついているという、まさに日本の汎用コンピュータ業界の全2重は継子扱い的製品ばかり。この先どうなるかわからない、と半信半疑で売りだしたんだろうなぁ。値段はそれで一台十万円から十五万円ほど。
結局は全部は一度にそろえられない、ハードディスクはとりあえず右において、とにかく自動運転実験に最低必要な電話を受信専用回線ということで四万円で購入。モデムは発起人会の一人で通信工事業者の友人安藤君に頼んで、日立ハイブリットホンを半値の六万円で特別手配してもらった。
つまり、計十万円でスタートさせたわけだ。あとはアスキーハンドブックに書かれてある無料のプログラムを走らせるばかりだ。五年後には、豊の国パケットネットワークを含めると二億円近くになるような大きなコアラシステムも最初はこの十万円からスタートだった。
甘かった! 会社の女子社員に『パソコン通信ハンドブック』のプログラムをコンピュータに打ち込んでもらったものの、そう簡単には動かない。そのプログラムには電子メール機能が無かったので、それを組み込む必要もあったし、何よりもモデムの種類や特性に応じて、外部からのアクセスに安定的に接続できなければいけない。
そういった改造は、原著作者よりもこちらの責任問題であるのだから。
その頃、会社の上のアパートに住んでいた私は、実験のために電話線を二本引き込み、自分のパソコンPC9801Eをホストにして、アクセス用に古いパソコンMICRO-8を持ち込み、自宅からNTTの外線を経由して自宅のホストにテストアクセスし続けるということを\毎夜、時には会社から抜け出し昼間から夜も眠らずやってしまった。なぜなら、次の例会日は6月16日と決まっているし、その時に何としてでも動かしたい。
あまりにもわからないので、過去の雑誌類をひっくり返して通信のことを調べたり、専門書を手あたり次第に購入。アパートだから書斎があるわけではなく、二部屋を打ち抜いている居間兼食堂に機械を置き、本・雑誌類は食卓テーブルに広げてしまっている。
うーん、ウチの奥さん、よく我慢したものだ。目をパチクリさせながら、食事の時だけ片隅に本を片付ける。といっても半分しか空間の空かないテーブルで、朝ご飯も夕ご飯も親子三人分を済ませたのですから。時には積み重ねた本が雪崩となって二歳の長女襲ったりする。
しかし、わからないし時間も足らない。困って、友だちに頼み大分大学のパソコンクラブの学生を一人バイトということで世話してもらった。彼も雪崩にあいながら、毎夜私に付き合って奮闘。おかげで会社の会議ではいつもウトウトと居眠りしてしまって、社長から怒られてばかりだった。一度は目が回って倒れてしまい、救急病院にかつぎ込まれてしまった。それが睡眠不足と根を詰めすぎた疲労からくる一時的ビョーキだとは、本人も含めて気がつかず、ちょっとばかり内輪で大騒ぎになったりと、いま思えば頭の中もからだも混沌混迷してしまっていた。
その甲斐あって、六月例会ではどうやらこうやら動かして見せることができた。アクセスする様子を目の当たりに見たこともあってか、例会では皆でパソコンを買おうと話し合っている。呼びかけてから一週間の範囲で参加してくれた人達の大半は、「何かおもしろそうだ」とは思ったものの、パソコンは持っていない中小企業二世や一般社会人ばかりだ。パソコンも数がまとまれば安くなるだろうと、十数人でまとまって買いに行く現象は、これ以降数年間に亘ってたびたび起こった。大分のパソコンショップはコアラ現象としておおいに喜んでくれたものだ。

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