post59:第一章 胎動 東京から遠く離れて
第一章 胎動
東京から遠く離れて
誰だってカウンターカルチャー的な素養を持っていると思う。
特に団塊世代の私達は、生まれた時からその素養が強まらざるを得なかったように思えてしまう。
常に人数が多い中で名無しの権兵衛、名もなきその他大勢の一人という仮面をかぶせられがちだ。
だからこそ「個」を認めて欲しい、という欲求は他の世代に比べて強かったに違いない。多分、それがヒッピー文化やネットワーキング文化などを起こす要因になっていたのだろう。
そういったことを意識せず、単に敷かれたレールに従って博多での学生生活を終えて就職。二年間の地方工場勤務とその後の東京本社勤務。相部屋の寮生活で思うことは「何かおかしい」。学生時代の本や愛用物を入れた段ボール箱さえときほぐす空間がない。レコードを広げて聞き入るスペースもプライパシーもない。社会人であるほうが学生であるよりも貧しい気持ちになるなんてどうも納得できない。学生時代の方が空間が広かったし。東京だからこうなのか?それとも団塊の世代だからそうなのか?東京での私生活はもっと名無しの権兵衛となったみたい。人数が多いというのはこういうことなのか。
そういった状況の中、一九七四年の夏、父の会社の都合で大分に帰ってきた。大分で生活して、はじめて日本の中には「東京一極集中」というカルチャーがあり、それが支配的文化であることに気が付いた。
テレビをつけると、日本国民であれば皆が新宿をよく知っているような番組が流れ、大分の隣の熊本を紹介する番組は、東京人の取材者・編集者には新鮮な内容であっても、大分人にとっては、その内容を「大分紹介だ」と言っても通用する、と、思ってしまう。新聞しかり、雑誌しかり。読者や視聴者は東京在住者を第一優先とする構成になっていたりで、まるで東京がステージ、地方は外野観覧席という構図が浮かび上がってくる。
仕事も似たり寄ったりだ。常に国や企業の九州管轄局、九州総支社の集中する福岡や熊本に参勤交代よろしく通わねばならない。かつ、それだけでは足らず、東京にあしげく出かけねばならない実態を、話しではなく実体験していくにつれ、東京人一流、福岡その次、大分はどこだ?と考え始めてしまった。地方の時代を求める声を、共感者、実感者として聞き始めたのはこの頃からだったのだろうか。
そして、大分県に平松知事の登場。
彼は、まぎれもなく東京一極集中文化に対して一村一品運動を提唱しつつ、カウンターカルチャーをおこそうとしていたのだろう。

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