post274:第1綴 第6章 伊邪那岐の黄泉下りと二神の脱出
(1)背景説明
この章(しょう)の記述(きじゅつ)で、イザナギが黄泉(よみ)に下(くだ)ってイザナミと出会(であ)い、腐乱(ふらん)したイザナミの死体(したい)に雷神(らいじん)が取(と)りついているのを目撃(もくげき)するところまでは、古事記(こじき)に重(かさ)なり合(あ)うが、その後(ご)、いよぶせによってイザナミが蘇生(そせい)してからは、物語(ものがたり)は二神(にしん)連(つ)れ立(だ)っての脱出行(だっしゅつこう)となる。
古事記(こじき)の雷神(らいじん)と千五百(せんごひゃく)の黄泉軍(よみぐん)、遂(つい)にはイザナミ自身(じしん)とするのに対(たい)して、上紀(じょうき)では黄泉津醜女(よもつしこめ)、八種(やくさ)の雷神(らいじん)、千五百(せんごひゃく)の醜男(しこおとこ)、黄泉津禍諸男(よもつまがもろお)と、これに率(ひき)いられた五十六種(ごじゅうろくしゅ)の雷神(らいじん)、千万(せんまん)の醜男醜女(しこおとこしこめ)となっている。
上紀(じょうき)の数字(すうじ)に異同(いどう)と誇張(こちょう)があるが、一言(ひとこと)で言(い)えばイザナミの再生(さいせい)に伴(ともな)い、イザナミが黄泉津禍諸男(よもつまがもろお)と入(い)れ代(か)わっているのが特異点(とくいてん)である。上紀(じょうき)の創作性(そうさくせい)が著(いちじる)し
イザナギ、イザナミ、カグツチの悲劇
カグツチ(軻遇突智・火之迦具土神)の悲劇とは、「生まれたことによって母を死なせ、父に殺される」という二重の悲劇を指します。
(2)平易訳
伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)は、亡くなった妻(つま)である伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)にもう一度会いたいと強く思い、死者(ししゃ)の国である黄泉(よみ)の国へ向かいました。
黄泉(よみ)の国の入り口で、伊邪那美(いざなみ)は戸(と)を少し開けて姿を見せます。
伊邪那岐(いざなぎ)は、「まだ国づくりは終わっていない。いっしょに帰ってほしい」と願いました。
しかし伊邪那美(いざなみ)は、「私はすでに黄泉(よみ)の食べ物を口にしてしまったので、もう元の体には戻れない」と答えます。それでも夫の願いを思い、黄泉津大神(よもつおおかみ)に相談してみると言います。ただし、「そのあいだ、決して私の姿を見ないでほしい」と約束させました。
けれども、あまりに長く戻ってこないため、伊邪那岐(いざなぎ)は待ちきれず、櫛(くし)を折って火をともして中をのぞきます。
そこにあったのは、腐(くさ)り果てた伊邪那美(いざなみ)の姿でした。体には蛆(うじ)がわき、八雷神(やいかづちのかみ)と呼ばれる雷(いかずち)の神々が、頭や胸、手足などに宿っていました。かつての美しい姿は失われ、恐ろしい姿になっていたのです。
伊邪那岐(いざなぎ)は恐れ、逃げ出します。
上紀(じょうき)の物語では、ここから話が古事記(こじき)と少し異なります。伊邪那岐(いざなぎ)は、呪文のような言葉「いよぶせ」を唱え、伊邪那美(いざなみ)を再び立ち上がらせます。そして二神(にしん)はともに黄泉(よみ)の国から逃れようとします。
しかし、黄泉津禍諸男(よもつまがもろお)や多くの雷神(らいじん)、無数の醜男醜女(しこおとこ・しこめ)たちが二神を追いかけます。
二神はついに、黄泉(よみ)とこの世の境目である黄泉比良坂(よもつひらさか)へたどり着きます。そこに大きな千引石(ちびきいし)を置いて道をふさぎ、追手をさえぎりました。
そのとき、禍諸男(まがもろお)は「お前の国の人々に災いをもたらし、多くを死なせよう」と脅します。
これに対して伊邪那岐(いざなぎ)は、「それならば私は、さらに多くの命を生み、薬や幸いを広めよう」と応じます。
ここには、「災いがあっても、それを打ち消す力がある」という思想があらわれています。
その後、伊邪那岐(いざなぎ)は筑紫(つくし)の日向(ひむか)の橘(たちばな)の小戸(おど)の阿波岐原(あわぎはら)で禊(みそぎ)を行い、黄泉(よみ)の穢(けが)れを洗い流しました。
この禊(みそぎ)によって、
- 天照大御神(あまてらすおおみかみ)
- 月読命(つくよみのみこと)
- 須佐之男命(すさのおのみこと)
が生まれます。
そして、
- 天照大御神(あまてらすおおみかみ)には高天原(たかまのはら)を、
- 月読命(つくよみのみこと)には夜の国を、
- 須佐之男命(すさのおのみこと)には海原(うなばら)を、
治めるよう命じました。
こうして、黄泉(よみ)の穢れを祓(はら)うことによって、新しい秩序(ちつじょ)が生まれ、神代(かみよ)の世界のしくみが整えられたのです。
この章は、「死」と「穢れ」を通して、禊(みそぎ)と再生(さいせい)、そして新たな神々の誕生という大きな転換点を描いた物語です。
(3)逐意訳(現代語訳)
先に、伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)は天(あめ)から降(くだ)ってこられ、
妹(いもうと)である伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)に会(あ)いたいと思(おも)い、
黄泉(よみ)の国(くに)へ追(お)いかけて行(い)かれました。
黄泉(よみ)の国(くに)の入口(いりぐち)で、伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)が
戸(と)を少(すこ)し開(あ)けて出(で)てこられたとき、
伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)は言(い)いました。
「愛(いと)しいわたしの妻(つま)よ。
わたしたちはまだ国(くに)づくりを終(お)えていない。
どうか一緒(いっしょ)に帰(かえ)ってほしい。」
伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)は答(こた)えました。
「あなたが来(く)るのが遅(おそ)かったので、
わたしはすでに黄泉(よみ)の食(しょく)べ物(もの)を口(くち)にしてしまいました。
それでも、あなたがここまで来(き)たことはうれしい。
しかし、黄泉(よみ)の神々(かみがみ)と相談(そうだん)しなければなりません。
そのあいだ、どうか決(けっ)してわたしの姿(すがた)を見(み)ないでください。」
そう言(い)って、伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)は
奥(おく)の部屋(へや)へ入(はい)って行(い)かれました。
ところが、あまりにも長(なが)く戻(もど)らないので、
伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)は待(ま)ちきれず、
髪(かみ)に挿(さ)していた櫛(くし)を折(お)って火(ひ)を灯(とも)し、
中(なか)をのぞきました。
すると伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)は、
体(からだ)に蛆(うじ)がたかり、
頭(あたま)には大(おお)きな雷(いかずち)、
胸(むね)には火(ひ)の雷(いかずち)、
手足(てあし)にもそれぞれ雷(いかずち)がとりついた、
恐(おそ)ろしい姿(すがた)になっていました。
伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)は驚(おどろ)いて逃(に)げ出(だ)しました。
伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)は、
黄泉(よみ)の醜(みにく)い女(おんな)たちを追手(おって)にして
伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)を追(お)わせました。
伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)は、
髪(かみ)の飾(かざ)りや櫛(くし)を投(な)げて、
それが食(た)べ物(もの)に変(か)わるあいだに逃(に)げました。
それでも追(お)いかけてくるので、
ついに黄泉(よみ)と現世(うつしよ)の境(さかい)である
黄泉比良坂(よもつひらさか)に着(つ)き、
大(おお)きな岩(いわ)を引(ひ)いて道(みち)をふさぎました。
岩(いわ)をはさんで、伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)は言(い)いました。
「おまえはもう、わたしの妻(つま)ではない。
この穢(けが)れた国(くに)から、こちらへ来(く)るな。」
伊邪那美(いざなみ)の命(みこと)は怒(いか)って言(い)いました。
「それなら、わたしは一日(いちにち)に千人(せんにん)を殺(ころ)そう。」
すると伊邪那岐(いざなぎ)の命(みこと)は答(こた)えました。
「ならばわたしは、一日(いちにち)に千五百人(せんごひゃくにん)を生(う)ませよう。」
こうして死(し)と生(せい)が定(さだ)められました。
最後(さいご)に、黄泉比良坂(よもつひらさか)は
出雲(いずも)の伊賦夜坂(いふやさか)であると記(しる)されています。
(4)原文(解読文)
故(かれ)伊(い)邪(ざ)那(な)岐(ぎ)の命(みこ)(と)天(あめ)より降(くだ)りたまイて
それの妹(いも)伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこ)(と)に相(あイ)見(み)まく思(おも)ほ※1して
黄泉津国(よもつくに)に入(い)りたまイき
すなはち伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこ)(と)に告(の)りたまはく
「愛(うつく)しき吾(あ)が妹(いも)の命(みこ)(と)
我(あれ)は来(き)つる事(こと)に疲(つか)れぬ
共(とも)に還(かへ)りましなむ」
と告(の)りたまへば
伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこ)(と)答(こた)へて告(の)りたまはく
「惜(を)しきかな
吾(あ)はすでに黄泉(よみ)の食(を)食(く)ひて※2
黄泉津大神(よもつおほかみ)と同(おな)じ御身(み)となりぬ
然(しか)れども愛(うつく)しき吾(あ)が夫(つま)の命(みこ)(と)のために
還(かへ)らむことを黄泉津大神(よもつおほかみ)に問(と)はむ
故(かれ)その間(あひだ)は
決(けっ)して吾(あ)が姿(すがた)を見(み)たまふな」※3
かく告(の)りて伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこ)(と)は
奥(おく)つ御殿(みあらか)に入(い)りたまひき
然(しか)るに
久(ひさ)しくしても出(い)で来(こ)ざりしかば
伊(い)邪(ざ)那(な)岐(ぎ)の命(みこ)(と)
待(ま)ちかねて
御鬘(みかづら)の中(なか)の湯津爪櫛(ゆつつまぐし)の一歯(ひとつば)を折(を)りて
これに火(ひ)をともして
奥(おく)を照(て)らして見(み)たまへば
伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこ)(と)の御身(みみ)は
腐(くさ)れ
蛆(うじ)わき
頭(あたま)には大雷(おほいかづち)※4
胸(むね)には火雷(ほのいかづち)※5
腹(はら)には黒雷(くろいかづち)※6
陰(ほと)には析雷(さくいかづち)※7
左手(ひだりて)には若雷(わかいかづち)※8
右手(みぎて)には土雷(つちいかづち)※9
左足(ひだりあし)には鳴雷(なるいかづち)※10
右足(みぎあし)には伏雷(ふすいかづち)※11
合(あは)せて八雷神(やいかづちのかみ)※12
御身(みみ)に成(な)り居(を)りき
ここに伊(い)邪(ざ)那(な)岐(ぎ)の命(みこ)(と)
「いと穢(けが)き国(くに)に至(いた)りぬ」※27
と宣(の)りたまひて
筑紫(つくし)の日向(ひむか)の
橘(たちばな)の小戸(をど)の阿波岐原(あはぎはら)※28
に到(いた)りたまひき
すなはち御身(みみ)の穢(けが)れを
禊(みそ)ぎ祓(はら)ひたまふ※29
まず
身(み)に著(つ)けたる
杖(つえ)・帯(おび)・衣(ころも)等(など)を
投(な)げ捨(す)てたまへば※30
それぞれ神(かみ)と成(な)り出(い)でましき
次(つぎ)に
左(ひだり)の目(め)を洗(あら)ひたまへば
天照大御神(あまてらすおほみかみ)※31
生(あ)れましき
右(みぎ)の目(め)を洗(あら)ひたまへば
月読命(つくよみのみこと)※32
生(あ)れましき
鼻(はな)を洗(あら)ひたまへば
須佐之男命(すさのをのみこと)※33
生(あ)れましき
ここに伊(い)邪(ざ)那(な)岐(ぎ)の命(みこ)(と)
大(おほ)いに歓(よろこ)びたまひて※34
詔(の)りたまはく
「汝(な)天照大御神(あまてらすおほみかみ)は
高天原(たかまのはら)※35
を治(し)らせ
汝(な)月読命(つくよみのみこと)は
夜(よる)の国(くに)※36
を治(し)らせ
汝(な)須佐之男命(すさのをのみこと)は
海原(うなばら)※37
を治(し)らせ」
と命(の)りたまひき※38
然(しか)るに
須佐之男命(すさのをのみこと)
命(みこと)を受(う)けながら
治(し)らずして
常世(とこよ)の国(くに)※39
へ行(ゆ)かむと泣(な)きたまひき※40
ここに伊(い)邪(ざ)那(な)岐(ぎ)の命(みこ)(と)
大(おほ)いに怒(いか)りたまひて
須佐之男命(すさのをのみこと)を
逐(お)ひやりたまひき※41
ここに
天照大御神(あまてらすおほみかみ)と
須佐之男命(すさのをのみこと)
誓約(うけひ)※42
を行(おこな)ひたまひ
五男神(いつをのかみ)※43
三女神(みはしらのめのかみ)※44
生(あ)れましき
かくて
天(あめ)と地(つち)の道(みち)
定(さだ)まり
神代(かみよ)の秩序(ちつじょ)※45
成(な)り立(た)ちき
これ
伊(い)邪(ざ)那(な)岐(ぎ)の命(みこ)(と)の
禊祓(みそぎはら)ひ※46
より
神々(かみがみ)生(う)み成(な)る
大(おほ)いなる始(はじ)め※47
なり
故(かれ)
穢(けが)れあらば
必(かなら)ず祓(はら)ひあり
禍(わざはひ)あらば
必(かなら)ず清(きよ)めあり※48
ここに
禊(みそぎ)の法(のり)※49
国中(くになか)に
伝(つた)はりき
これ
天地(あめつち)の
清浄(せいじゃう)の始(はじ)め※50
なり
伊(い)邪(ざ)那(な)岐(ぎ)の命(みこ)(と)
この功(いさを)※51
大(おほ)なり
これをもて
日の神(ひのかみ)
月の神(つきのかみ)
海の神(うみのかみ)
現(あら)れ出(い)でましき※52
上(うへ)つ世(よ)※53
ここに定(さだ)まりぬ
(5)語句注釈
※1それのいもいざなみのみことにあイみまくおもほして→みぎりのみあしにふしいかつちをりき:
それのいもいざなみのみことにあイみまくおもほして→みぎりのみあしにふしいかつちをりき
この箇所(かしょ)は記紀(きき)のイザナギ黄泉下(よみくだ)りに対応(たいおう)し、古事記(こじき)の「於是欲相見其妹伊邪那美命追往黄泉国爾自殿縢戸出向之時→於左足者鳴雷居於右足者伏雷」(ここにそのいもいざなみのみことをあひみまくおもほしてよもつくににおひいでましきすなはちとのどよりいでむかへますときに→ひだりのみあしにはなるいかづちをりみぎりのみあしにはふしいかづちをり=宣長訓(のりながくん))の段(だん)に対応(たいおう)している。対応文節(たいおうぶんせつ)、対応語句(たいおうごく)、対応語彙(たいおうごい)は宣長訓(のりながくん)に酷似(こくじ)する。但(ただ)し羅列(られつ)される雷神(らいじん)に古事記(こじき)に現(あらわ)れている黒雷(くろいかづち)、拆雷(さくいかづち)の2神(にしん)が欠(か)けていて異伝(いでん)。古史成文(こしせいぶん)は宣長訓(のりながくん)に重(かさ)なるが、イザナミの遺骸(いがい)に取(と)りついていた雷(いかづち)の名(な)は挙(あ)げずに、単(たん)に「八雷公副居矣(やつのいかつちそひをりき)」と締(し)めくくっている。これは古事記(こじき)の「并八雷神成居(あはせてやくさのいかづちがみなりをりき)」につながる句(く)である。
※2おいつてましき:
おいつてましき
この箇所(かしょ)を古事記(こじき)は「追往(ついおう)」と書(か)く。諸本集成古事記(しょほんしゅうせいこじき)の有訓(ゆうくん)12種(じゅうにしゅ)の内(うち)、鈴鹿本(すずかぼん)、前田本(まえだぼん)等(とう)5種(ごしゅ)が「をいてまします」、延佳本(えんかぼん)が「をいてゆきたまふ」、校訂古事記(こうていこじき)が「おひゆきたまふ」。荷田春満書(にだはるみつが)き入(い)れ本(ぼん)が「おいていてます」、真淵仮名記訓(まぶちかなきくん)が「おひゆかす」。一方(いっぽう)、訂正古訓古事記(ていせいこくんこじき)、古事記伝(こじきでん)が「おひいでましき」で上紀(じょうき)に近似(きんじ)。「つで」は直(すぐ)後(のち)の「つてむかえ」の所(ところ)で説明(せつめい)するように普通語(ふつうご)「いで」(出(い)で)に同(おな)じ。古事記伝(こじきでん)は天智紀(てんじき)の歌謡(かよう)、万葉集(まんようしゅう)を例証(れいしょう)に引(ひ)き「凡(およ)そ行給(ゆきたま)ふことを、古言(こげん)にイデマスと云(い)ふなり」とする。
※3わきど:
わきど
この語句(ごく)に対応(たいおう)して古事記(こじき)は「殿縢戸(とのかがみど)」と書(か)くが集成古事記(しゅうせいこじき)では延佳本(えんかぼん)は「みあらかのくみど」、宣長古訓古事記(のりながこくんこじき)は「とのど」、校訂古事記(こうていこじき)は「とののくまど」、真淵仮名記(まぶちかなき)は「みあらかのくみど」、古史成文(こしせいぶん)は「とののあげど」。古事記伝(こじきでん)はとのど以外(いがい)のこれらの訓(くん)を特別(とくべつ)な論証(ろんしょう)無し(な)しに全(すべ)て退(しりぞ)けて「とのど」とする。しかし「脇戸(わきど)か前戸(まえど)か後戸(うしろど)かなどにもあらむ」として上紀(じょうき)の「わきど」という訓(くん)の可能性(かのうせい)を示唆(しさ)している。宣長(のりなが)はなんらかの資料(しりょう)、口碑(こうひ)でこの語句(ごく)を「わきど」とする訓(くん)を関知(かんち)していたのではないか。
※4つてむかえ:
つてむかえ
この箇所(かしょ)を古事記(こじき)は「出向(しゅっこう)」と書(か)く。宣長訓(のりながくん)は「いでむかへ」、眞淵(まぶち)は「いでむかひ」と訓(よ)む。上紀(じょうき)「つで」は「いで」である。上紀(じょうき)は基本的(きほんてき)原則的(げんそくてき)に「出(い)づ」の語根(ごこん)を「づ」とし、発語強意(はつごきょうい)の接頭語(せっとうご)を「い」ではなく「つ」とする(つでず、つでたり、づ、づる、づれ、つでよ)。上記(じょうき)の特異語(とくいご)の1つ。
※5しつれ:
しつれ
係(かか)り結(むす)びの原則(げんそく)からすれば、この已然形(いぜんけい)は不自然(ふしぜん)。「こそ」が前置(ぜんち)されてしかるべきもの。
※6まづ:
まづ
古事記(こじき)はこの語(ご)に対応(たいおう)して「且(かつ)」の字(じ)を与(あた)える。諸本集成古事記(しょほんしゅうせいこじき)は鈴鹿本(すずかぼん)以下(いか)5種(ごしゅ)が「また」、校訂古事記(こうていこじき)が「かつ」と訓(よ)む。真淵仮名古事記(まぶちかなこじき)は「かつ」で同(おな)じ。古史成文(こしせいぶん)は「しばらく」。古事記伝(こじきでん)は且(かつ)の字(じ)をかつともまたとも訓(よ)むのは語意(ごい)に叶(かな)わない、またただしと訓(よ)むのは古語(こご)のさまではないとして退(しりぞ)け、直(す)ぐ続(つづ)けて「麻豆(まづ)と訓(よ)んで語(ご)の意(い)よく叶(かな)へり、さては字(じ)の義(ぎ)にも痛(いた)く違(たが)はじ」と述(の)べて「まづ」に定(さだ)める。因(ちな)みに古事記伝(こじきでん)に先(さき)んじて現(あらわ)れた訂正古訓古事記(ていせいこくんこじき)は「且」を「旦(あした)」として「あしたに」と訓(よ)み更(さら)に旦(あした)の字(じ)に並(なら)べて「且」の字(じ)を添(そ)えて「まづ」とルビを振(ふ)っている。宣長(のりなが)の古訓研究(こくんけんきゅう)の動揺(どうよう)の一例(いちれい)であろう。
※7なみたまゐそね:
なみたまゐそね
訂正古訓古事記(ていせいこくんこじき)古事記伝(こじきでん)の宣長訓(のりながくん)が「なみたまひそ」とするほか諸本集成古事記(しょほんしゅうせいこじき)の各種(かくしゅ)は「なみましそ」。上紀(じょうき)の「そね」は禁止(きんし)の終助詞(しゅうじょし)「そ」+希望誂(きぼうあつら)えの終助詞(しゅうじょし)「ね」(野山(のやま)の浅茅人(あさぢうど)な刈(か)りそね万葉集(まんようしゅう))。
※8とのぬち:
とのぬち
古事記(こじき)は「殿内(でんない)」と書(か)く。諸本集成古事記(しょほんしゅうせいこじき)各種(かくしゅ)のうち訂正古訓古事記(ていせいこくんこじき)が、また古事記伝(こじきでん)だけが「とのぬち」とし上紀(じょうき)と同(おな)じ。諸本集成古事記(しょほんしゅうせいこじき)の他(ほか)の本(ほん)は「とののうち」。眞淵(まぶち)は「みあらかのち」。古事記伝(こじきでん)は「ぬち」は「の+うち(之内(しない))」の約言(やくげん)とするが果(はた)してそうか。「ぬし(主)」を「うし(大人(たいじん))」、「千入(ちいり)」を「ちのり」と言(い)うように、「ぬち」は「うち」と同(おな)じ語(ご)とも考(かんが)えられる。
※9まちかねたまイき:
まちかねたまイき
延佳本(えんかぼん)、校訂古事記(こうていこじき)が「まちがたし」。宣長訓(のりながくん)が「まちかねたまいき」で上紀(じょうき)と同(おな)じ。
※10さきかぎて:
さきかぎて
「さきかきて」が正(ただ)しい。古事記(こじき)は「取闕(しゅけつ)」と書(か)き、宣長訓(のりながくん)、眞淵訓(まぶちくん)、古史成文(こしせいぶん)ともに「とりかきて」と訓(よ)む。
※11いにりみます:
いにりみます
古事記(こじき)は「入見(にゅうけん)」と書(か)く。「いにり」は「にり(入(い)り)」に同(おな)じ。「い」は発語強意(はつごきょうい)の「い」。
※12おおいかつち:
おおいかつち
以下(いか)総(すべ)て6雷(ろくらい)あるも、記紀(きき)は8雷(はちらい)とし異伝(いでん)。上紀(じょうき)は古事記(こじき)の「火雷(ほいかづち)」、「黒雷(くろいかづち)」を欠(か)き、日本書紀(にほんしょき)1書(いっしょ)28の八雷(はちらい)の内(うち)、黒雷(くろいかづち)、山雷(やまいかづち)、野雷(のいかづち)、裂雷(さくいかづち)を欠(か)く。しかし、後続(こうぞく)して「八種(はっしゅ)の雷(いかづち)」とあるので上紀(じょうき)には記紀(きき)が挙(あ)げるいずれかの2雷(にらい)が本来(ほんらい)含(ふく)まれていたものであろう。

コメント
post274@159: 第1綴 第6章 伊邪那岐の黄泉下りと二神の脱出 (5)語句注釈 (続き)
※13ここにいざなぎのみことみかしこみて→いづものいウやさかこれなり:
ここにいざなぎのみことみかしこみて→いづものいウやさかこれなり
この部分(ぶぶん)は古事記(こじき)の「於是伊邪那岐命見畏而(ここにいざなぎのみことみかしこみて)→故其所謂黄泉比良坂者今謂出雲国之伊賦夜坂也(かれそのいはゆるよもつひらさかはいまいづものくにのいふやざかとなもいふ)」に対応(たいおう)する。古事記(こじき)との対応文節(たいおうぶんせつ)、対応語句(たいおうごく)、対応語彙(たいおうごい)は宣長訓(のりながくん)に一致(いっち)するが、この部分(ぶぶん)での上紀(じょうき)の記述(きじゅつ)は古事記(こじき)の記述(きじゅつ)を敷衍(ふえん)、改作(かいさく)した色彩(しきさい)が強(つよ)い。ここにはイザナギの蘇生術(そせいじゅつ)でイザナミが再生(さいせい)し、二柱(にはしら)共(とも)に黄泉(よみ)より帰還(きかん)する物語(ものがたり)が語(かた)られる。記紀(きき)ではイザナギがイザナミに追(お)われて単独(たんどく)で黄泉(よみ)を脱走(だっそう)する話(はなし)になっているが、因(ちな)みに、アイヌ伝説(でんせつ)には、死者(ししゃ)を慕(した)って黄泉(よみ)に下(くだ)った者(もの)が黄泉(よみ)の悪魔(あくま)に追(お)われ、途中(とちゅう)大石(おおいし)で道(みち)を遮(さえぎ)り逃(に)げ帰(かえ)ったとか、黄泉(よみ)の食(た)べ物(もの)を食(た)べた人間(にんげん)は人間界(にんげんかい)に戻(もど)れないとか、イザナギイザナミの黄泉伝説(よみでんせつ)と系統(けいとう)を同(おな)じにした伝説(でんせつ)が著(いちじる)しい(田中勝也(たなかかつや)エミシ研究(けんきゅう))。このことから、記紀(きき)の黄泉伝説(よみでんせつ)が原話(げんわ)であり、上紀(じょうき)のストーリーは作為的(さくいてき)粉飾(ふんしょく)と変造(へんぞう)とにより創作(そうさく)されたものと見(み)るべきである。
※14いよぶせ:
いよぶせ
「いよ」は感動詞(かんどうし)、「ぶせ」は「伏(ふ)せ」で、呪文的(じゅもんてき)な呼(よ)びかけ語(ご)。イザナギがイザナミを呼(よ)び返(かえ)し蘇生(そせい)させる際(さい)に唱(とな)えた詞(ことば)。
※15よみつひらさか:
よみつひらさか
黄泉(よみ)の国(くに)と現世(げんせ)との境界(きょうかい)にある坂(さか)。古事記(こじき)では「黄泉比良坂(よもつひらさか)」。
※16いふやざか:
いふやざか
出雲国(いづものくに)にあるとされた坂(さか)。古事記(こじき)では黄泉比良坂(よもつひらさか)に比定(ひてい)される。
※17みかしこみて:
みかしこみて
「畏(おそ)れ敬(うやま)って」の意(い)。神威(しんい)に触(ふ)れて身(み)をすくめる意(い)を含(ふく)む。
※18かへりき:
かへりき
「帰(かえ)った」の意(い)。完了(かんりょう)の助動詞(じょどうし)「き」。
※19ふせさせたまひて:
ふせさせたまひて
「伏(ふ)せさせて」の意(い)。呪術的(じゅじゅつてき)な所作(しょさ)としてイザナミを地(ち)に伏(ふ)させること。
※20よみ:
よみ
死者(ししゃ)の国(くに)。地下(ちか)にあると信(しん)じられた異界(いかい)。
※21かへりましき:
かへりましき
「お帰(かえ)りになった」の意(い)。尊敬(そんけい)の補助動詞(ほじょどうし)「まし」と完了(かんりょう)の「き」。
※22ともに:
ともに
二神(にしん)が連(つ)れ立(だ)っての意(い)。
※23のがれましき:
のがれましき
「逃(のが)れられた」の意(い)。尊敬(そんけい)の「まし」+完了(かんりょう)の「き」。
※24さき:
さき
境目(さかいめ)。異界(いかい)と此界(しかい)の境界(きょうかい)。
※25いは:
いは
岩(いわ)。黄泉(よみ)と現世(げんせ)を遮(さえぎ)る塞(ふさ)ぎの岩(いわ)。
※26さかひ:
さかひ
境(さかい)。境界(きょうかい)。
※27とぢたまひて:
とぢたまひて
「閉(と)じて」の意(い)。岩(いわ)で道(みち)を塞(ふさ)ぐ所作(しょさ)。
※28そのさかもと:
そのさかもと
その坂(さか)の下(もと)。黄泉比良坂(よもつひらさか)の麓(ふもと)。
※29 まがさ:
まがさ
「さ」は例(たと)えば「悪(わる)さ」等(など)の「さ」か。
※30 あらうる:
あらうる
古事記(こじき)は「所有(あらう)」と書(か)き、宣長(のりなが)、眞淵(まぶち)は「あらゆる」と訓(よ)む。
※31 うきせにおちてくるしまにときに:
うきせにおちてくるしまにときに
この箇所(かしょ)は古事記(こじき)「落苦瀬而患惚時(くるしむせにおちてうれひくるしむとき)」に対応(たいおう)。諸本集成(しょほんしゅうせい)古事記(こじき)延佳本(えんかぼん)は「くるしむせにおちてうれへくるしむのとき」、校訂古事記(こうていこじき)は「くるしきせにおちてうれひくるしまむときに」。荷田(かだ)書(か)き入(い)れ本(ぼん)は「おとろへなやみしてやまひくるしむときに」でこれらは宣長(のりなが)がしばしば批判(ひはん)する漢文訓読調(かんぶんくんどくちょう)が著(いちじる)しい。真淵(まぶち)書(か)き入(い)れ本(ぼん)、同仮名本(どうかなぼん)は「うきせにおちてやみくるしむときに」。これらに対(たい)して宣長訓(のりながくん)、古史成文(こしせいぶん)は上紀(じょうき)と一致(いっち)。
※32 おおかむづみ:
おおかむづみ
古事記(こじき)は「意富加牟豆美(おほかむづみ)」と書(か)く。
※33 いやはてに:
いやはてに
古事記(こじき)の対応文字(たいおうもじ)は「最後(はて)」で延佳本(えんかぼん)、荷田春満(かだのあずままろ)書(か)き入(い)れ本(ぼん)、真淵本(まぶちぼん)は「はてに」。校訂古事記(こうていこじき)は「いとのちに」。宣長訓(のりながくん)、古史成文(こしせいぶん)は上記(じょうき)と同(おな)じ「いやはてに」。
※34 よもづまがもろを:
よもづまがもろを
古事記(こじき)はイザナギがイザナミに追(お)われて地上(ちじょう)に帰還(きかん)したとするが、上紀(じょうき)では蘇生(そせい)したイザナミも一緒(いっしょ)に地上(ちじょう)に逃(に)げ帰(かえ)り「よもづまがもろを」に追(お)われると作(つく)り変(か)えられている。再生(さいせい)して地上(ちじょう)に帰還(きかん)するイザナミに置(お)き換(か)えられた黄泉神(よみのかみ)で上紀説話(じょうきせつわ)の作為粉飾性(さくいふんしょくせい)を物語(ものがた)る1例(いちれい)。
※35 かみ:
かみ
上紀(じょうき)では神首長(かみしゅちょう)を意味(いみ)する「かみ」に一(いち)、二(に)、三(さん)の3段階(さんだんかい)の文字(もじ)を当(あ)てる。一(いち)が最上格(さいじょうかく)で、二(に)、三(さん)は順次(じゅんじ)これに次(つ)ぐ。本訳(ほんやく)では神代志(かみよし)の部分(ぶぶん)では「一(いち)」に「神(かみ)」を、人代志(ひとよし)では「上(かみ)」を当(あ)てる。二(に)、三(さん)は双方(そうほう)を通(つう)じて順次(じゅんじ)、長(おさ)、頭(かしら)を当(あ)てる。古事記(こじき)神武記(じんむき)でカムヤイミミが弟(おとうと)ヌナカワミミに対(たい)し、「吾(われ)は兄(あに)なれども上(かみ)とあるべからず、汝(なんじ)が命(みこと)、上(かみ)とまして、天(あめ)の下(した)治(し)ろしめせ」と語(かた)る。ここで上(かみ)は主君(しゅくん)のことで、古事記伝(こじきでん)、眞淵(まぶち)は「かみ」と訓(よ)む。
※36 くし:
くし
「よこし」「おこし」の近世語(きんせいご)。
※37 そのいわををなかにおきてあイむきたたして:
そのいわををなかにおきてあイむきたたして
諸本集成(しょほんしゅうせい)古事記(こじき)で鈴鹿本(すずかぼん)以下(いか)5種(ごしゅ)が「そのいはをなかにすへてむかひたてて(たたして)」、春満(はるみつ)書(か)き入(い)れ本(ぼん)が「そのいわをなかにすゑてむかひたちて」、真淵訓(まぶちくん)が「そのいはをなかにすゑてかたみにむかひたたし」。これらに対(たい)して宣長訓(のりながくん)、古史成文(こしせいぶん)が上紀(じょうき)と同(おな)じ。
※38 みことのくにのひとくさひとひにちよろづを→またちよろづのうぶヤをたてにとのりたまゐき:
みことのくにのひとくさひとひにちよろづを→またちよろづのうぶヤをたてにとのりたまゐき
この箇所(かしょ)に対応(たいおう)して古事記(こじき)はイザナミがイザナギに対(たい)しておまえの国(くに)の人民(じんみん)を一日(いちにち)に千人(せんにん)殺(ころ)すと脅(おど)すとイザナギはそれならば自分(じぶん)は一日(いちにち)に千五百人(せんごひゃくにん)を産(う)むと反論(はんろん)する記事(きじ)を掲(かか)げる。これに対(たい)して上紀(じょうき)はイザナギを脅(おど)したのはイザナミでは無(な)く禍諸男(まがもろを)とし、脅(おど)しの内容(ないよう)も千萬(せんまん)の病人(びょうにん)をもたらし、千萬(せんまん)の禍事(まがごと)を成(な)し、百千(ひゃくせん)の人(ひと)を扼殺(やくさつ)するなどとなっている。これに対(たい)するイザナギの側(がわ)の反論(はんろん)も、それならば自分(じぶん)は百千萬(ひゃくせんまん)の薬(くすり)と百千萬(ひゃくせんまん)の幸事(さちごと)をもたらし、千萬人(せんまんにん)を産(う)もうとなっていて語(かた)られている数字(すうじ)が天文学的(てんもんがくてき)数字(すうじ)に誇張(こちょう)されている。上紀(じょうき)が古事記(こじき)の内容(ないよう)を変造(へんぞう)して誇大創作(こだいそうさく)したものであることが明(あき)らか。
※39 ちかゑしのかみをそのちびきいわのまゑにたたし:
ちかゑしのかみをそのちびきいわのまゑにたたし
ここで上紀(じょうき)は「ちかゑしのかみ」(道反神(ちがえしのかみ))を「ちびきいわ」(千引石(ちびきいし))と別格(べっかく)の存在(そんざい)としているが、古事記(こじき)は千引石(ちびきいし)を道反大神(ちがえしのおおかみ)と同格(どうかく)としていて相違(そうい)する。
※40 こち:
こち
「言(こと)」の動詞化(どうしか)した語(ご)。
※41 たかま:
たかま
「たかたま」が正(ただ)しい(後出(こうしゅつ))。笏(しゃく)のこと。上紀(じょうき)にはこれで剣(つるぎ)を打(う)ち落(お)とすと云(い)う記述(きじゅつ)があることなどから貴玉(たかたま)と当(あ)てる。
※42 ゆで:
ゆで
「いで」「で」に当(あ)たる。古事記伝(こじきでん)は「逃行(にげゆく)」に関係(かんけい)して、特(とく)に「行(ゆく)の字(じ)は出坐(いでます)ではないがイデマスと訓(よ)むべきである」と前置(まえお)きして、「行(い)きたまふと言(い)ふことをも然(しか)言(い)ふは古言(こげん)ぞ」と指摘(してき)している。意味合(いみあ)いからここの「ゆで」は行往(こうおう)であろう。
※43 こり:
こり
ものを言(い)うこと、ものを教(おし)えることを「こる」とする。「こつ」と同(おな)じで姉妹語(しまいご)か(後出(こうしゅつ))。
※44 しゑヤ:
しゑヤ
不詳(ふしょう)。万葉集(まんようしゅう)巻(まき)11、2519番歌(ばんか)「奥山(おくやま)の眞木(まき)の板戸(いたど)をおし開(あ)きしゑや出(い)で来(こ)ね後(のち)は何(なに)せむ」に見(み)える「しゑや」に重(かさ)なる語(ご)か。
※45 おおまかかげ:
おおまかかげ
前出(ぜんしゅつ)「御目(みめ)を剥(む)かして睨(にら)り」、「再(また)御目(みめ)に睨(にら)まい」と勘案(かんあん)すれば、「おおま」は「大目(おおめ)」、「かかげ」は輝(かがや)く、燿(かがや)くの「かか」を語根(ごこん)とする語彙(ごい)であろう。
※46 あをぶしまろにつぶなぎをかエして:
あをぶしまろにつぶなぎをかエして
不詳(ふしょう)だが、前後(ぜんご)の文脈(ぶんみゃく)からあを向(む)きに引(ひ)っ繰(く)り返(かえ)って足(あし)の裏(うら)を見(み)せて仰天(ぎょうてん)した状(じょう)を述(の)べたものか。「まろ」は「転(まろ)」で転(ころ)がり回(まわ)ることか。
※47 うかかれ:
うかかれ
心(こころ)を奪(うば)われて冷静(れいせい)な判断(はんだん)が出来(でき)なくなること(時代別国語大辞典(じだいべつこくごだいじてん)<室町時代編(むろまちじだいへん)>)。
※48 ししまき:
ししまき
上紀(じょうき)のこの語(ご)には同音(どうおん)の異語(いご)がある。前後(ぜんご)の脈絡(みゃくらく)から明(あき)らかに意味(いみ)が判読(はんどく)出来(でき)るのは、稲(いね)の穂(ほ)などが密集(みっしゅう)するさま、帯(おび)などをしっかり締(し)めるさま。ここの例(れい)はこれらとは異(こと)なるもので、喧(やかま)しく騒(さわ)ぎ立(た)てることを意味(いみ)する「ちぢめく」(岩波古語辞典(いわなみこごじてん)引(ひ)く三体詩抄日匍辞書(さんたいししょうにっぽじしょ))と繋(つな)がる語彙(ごい)ではなかろうか。
※49 いちはや:
いちはや
「ちはやぶる」と姉妹語(しまいご)。祝詞(のりと)鎮火祭(ちんかさい)「御心(みこころ)一速(いちはや)びたまはし」の「いちはや」。
※50 おもあせ:
おもあせ
「面褪(おもあ)せ」だと先行(せんこう)の「おおつち」と調和(ちょうわ)しない。大友本(おおともぼん)は「あせ」を「ふせ」とするのでこれに従(したが)う。
※51 なをそ:
なをそ
「なきそ」(勿来(なきそ))が正(ただ)しい。
※52 これのふたはしらのかみをちしきのおおかみと→いづものいウヤさかこれなり:
これのふたはしらのかみをちしきのおおかみと→いづものいウヤさかこれなり
ここには古事記(こじき)のイザナギ黄泉下(よみくだ)りの段(だん)に登場(とうじょう)する諸神(しょしん)が語(かた)られるが、一度(いちど)他界(たかい)したイザナミが再生(さいせい)して地上(ちじょう)に帰還(きかん)すると言(い)う上紀(じょうき)の語(かた)り口(ぐち)に沿(そ)って古事記(こじき)とは大(おお)きな説話要素(せつわようそ)の相違(そうい)が見(み)られる。
※53 ちしきのおおかみ:
ちしきのおおかみ
古事記(こじき)はこの神(かみ)のことを、黄泉(よみ)から脱走(だっそう)するイザナギを追(お)いかけ(追(お)い及(お)く)たイザナミのこととするが、上紀(じょうき)は遁走(とんそう)したのはイザナギイザナミ両神(りょうしん)として相違(そうい)。