post264:第1綴 第3章 国生み

『解読 上紀』 田中勝也

第1綴 第3章 国生み

(1)背景説明

日本列島の誕生を語る。古事記(こじき)に見える四国(しこく)、九州(きゅうしゅう)の分国名に加えて本州側の諸国十五か国の名を挙げる。その中には大和(やまと)の国の別名であるアキツネワケ、津(つ)の国クサキネワケ、陸奥(むつ)の国チヂノクワケ、信濃(しなの)の国サヨリシヌヒコ等、国造本紀(くにのみやつこのほんぎ)や律令分国体制(りつりょうぶんこくたいせい)とは異質の名称を含む。特に末尾にある、砂を蒔いて国を生む「国蒔き(くにまき)」伝説は、二神(ふたかみ)の結婚による国生み(くにうみ)、オオナムチの国造り、出雲(いずも)の国引き、沖縄(おきなわ)の島立て、鶺鴒(にわくな)が国土を造り固め神が開墾(かいこん)したと云うアイヌ伝説に加えて、もう一つの特異な国土生成伝説である。


(2)平易訳

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と

伊邪那美命(いざなみのみこと)の二柱(にはしら)の神は、

正しいやり方で結ばれたあと、

いよいよ国(くに)を生みはじめました。

まず生まれたのは、

淡路島(あわじしま)です。

続いて、四国(しこく)、

隠岐(おき)、

九州(きゅうしゅう)、

壱岐(いき)、

対馬(つしま)、

佐渡(さど)、

そして本州(ほんしゅう)が生まれました。

これらの島々は、

合わせて 大八島国(おおやしまぐに) と呼ばれています。

こうして、日本の国の形が整えられていきました。

国を生み終えたあと、

二神はさらに、

山や川、木や草、

風や海など、

この世界に必要なものを次々と生み出していきました。

山を司(つかさど)る神、

川を司る神、

海を司る神が生まれ、

世界は次第に豊かになっていきます。

しかしその途中で、

伊邪那美命(いざなみのみこと)は、

火の神である

火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を生んだとき、

大きな苦しみを受けました。

その苦しみのため、

伊邪那美命(いざなみのみこと)は、

ついに命を落としてしまいます。

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)は、

深く悲しみ、

怒りのあまり、

火之迦具土神(ひのかぐつちのかみ)を斬りました。

すると、その体や血から、

さらに多くの神々が生まれました。

死や悲しみの中からも、

新しい存在が生まれることになったのです。

こうして、

国(くに)と世界の土台は整えられましたが、

伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と

伊邪那美命(いざなみのみこと)の物語は、

ここで大きな別れを迎えることになります。


(3)逐意訳(現代語訳)

このように言葉(ことば)を交(か)わし終(お)えてから二柱(にはしら)の神(かみ)は交(まじ)わり、

淡道(あわじ)の穂(ほ)の狭別(さわけ)の島(しま)を生(う)みました。


次(つぎ)に、伊予(いよ)の二名(ふたな)の島(しま)を生(う)みました。

この島(しま)は、体(からだ)は一(ひと)つで、顔(かお)が四(よっ)つあり、

それぞれに名(な)がありました。

伊予(いよ)の国(くに)を愛比売(あいひめ)、

讃岐(さぬき)の国(くに)を飯依比古(いいよりひこ)、

阿波(あわ)の国(くに)を大宜都比売(おおげつひめ)、

土佐(とさ)の国(くに)を建依別(たけよりわけ)といいました。


次(つぎ)に、隠岐(おき)の三(み)つ子(ご)の島(しま)を生(う)み、

その名(な)を天之忍許呂別(あめのおしころわけ)としました。


次(つぎ)に、筑紫(つくし)の島(しま)を生(う)みました。

この島(しま)も体(からだ)は一(ひと)つで、顔(かお)が五(いつ)つあり、

それぞれに名(な)がありました。

筑紫(つくし)の国(くに)を白日別(しらひわけ)、

豊(とよ)の国(くに)を豊日別(とよひわけ)、

肥(ひ)の国(くに)を速日別(はやひわけ)、

日向(ひゅうが)の国(くに)を久士比泥別(くしひねわけ)、

熊曽(くまそ)の国(くに)を建日別(たけひわけ)といいました。


次(つぎ)に、壱岐(いき)の島(しま)を生(う)み、

名(な)を天之比登都柱(あめのひとつばしら)としました。


次(つぎ)に、対馬(つしま)の島(しま)を生(う)み、

名(な)を天之狭手依比売(あめのさでよりひめ)としました。


次(つぎ)に、また隠岐(おき)の三(み)つ子(ご)の島(しま)を生(う)み、

名(な)を天之忍許呂別(あめのおしころわけ)としました。


次(つぎ)に、佐渡(さど)の島(しま)を生(う)み、

名(な)を両児島(ふたごじま)としました。


次(つぎ)に、大八洲(おおやしま)豊道之原(とよみちのはら)を生(う)みました。

この国(くに)は体(からだ)は一(ひと)つで、顔(かお)が十五(じゅうご)あり、

それぞれに名(な)がありました。


大和(やまと)の国(くに)を秋津根別(あきつねわけ)、

摂津(せっつ)の国(くに)を日下根別(くさかねわけ)、

近江(おうみ)の国(くに)を淡海根彦(あわみねひこ)、

伊勢(いせ)の国(くに)を伊勢津媛(いせつひめ)、

遠江(とおとうみ)の国(くに)を遠津海別(とおつみわけ)、

美濃(みの)の国(くに)を无邪津海別(むじゃつみわけ)、

常陸(ひたち)の国(くに)を常陸媛(ひたちひめ)、

信濃(しなの)の国(くに)を狭依科彦(さよりしなひこ)、

上野(こうずけ)の国(くに)を野道路媛(のじひめ)、

陸奥(みちのく)の国(くに)を道路奥別(みちのおくわけ)、

越(こし)の国(くに)を越根別(こしねわけ)、

丹波(たんば)の国(くに)を丹波別(たんばわけ)、

出雲(いずも)の国(くに)を出雲別(いずもわけ)、

長門(ながと)の国(くに)を穴門根別(あなとねわけ)、

吉備(きび)の国(くに)を吉備津根別(きびつねわけ)といいました。


その後(のち)、帰(かえ)る途中(とちゅう)で、

吉備(きび)の小島(こじま)を生(う)み、名(な)を建日方別(たけひかたわけ)、

小豆島(あずきじま)を生(う)み、名(な)を大野手比売(おおのてひめ)、

大島(おおしま)を生(う)み、名(な)を大多麻流別(おおたまるわけ)、

比女島(ひめじま)を生(う)み、名(な)を天之一箇柱(あめのひとつばしら)、

知訶(ちか)の島(しま)を生(う)み、名(な)を天之忍男(あめのおしお)、

両児(ふたご)の島(しま)を生(う)み、名(な)を天之両屋(あめのふたや)としました。


また伊邪那岐命(いざなぎのみこと)と伊邪那美命(いざなみのみこと)は、

天(あま)の神々(かみがみ)のもとへ昇(のぼ)り、

生(う)み終(お)えた八十(やそ)の島々(しまじま)の様子(ようす)を詳(くわ)しく報告(ほうこく)しました。


すると天(あま)の神々(かみがみ)は言(い)いました。


「その生(う)んだ八十(やそ)の島をもととして、

数(かぞ)えきれないほどの島国(しまぐに)を増(ふ)やしなさい」


そう言(い)って、

天(あま)の安(やす)の河原(かわら)の天(あめ)の真砂(まさご)を授(さず)けました。


そこで二柱(にはしら)の大神(おおかみ)は、

陸奥(みちのく)の山(やま)に立(た)ち、

天(あま)の神(かみ)から授(さず)かった真砂(まさご)を

後(うし)ろ手(で)で吹(ふ)きまいて島々(しまじま)を作(つく)りました。

すると八十(やそ)の島(しま)が生(う)まれ、

その名(な)を蝦夷(えみし)といいました。


越(こし)の山(やま)で左(ひだり)の手(て)でまくと、

千(せん)の島(しま)ができ、悒婁(おう)と呼(よ)ばれました。


丹波(たんば)の山(やま)で左(ひだり)の手(て)でまくと、

大(おお)きな島(しま)ができ、生津牟婁(いくつむろ)となりました。


指(ゆび)ではじくと小(ちい)さな島(しま)ができ、生津吹(いくつぶき)となり、

両手(りょうて)でまくと大小(だいしょう)さまざまな島(しま)ができ、かると呼(よ)ばれました。


さらに愛媛(えひめ)の山(やま)で右(みぎ)の手(て)でまくと、

三(み)つの島(しま)ができ、琉球(りゅうきゅう)となりました。

さらにまくと二(ふた)つの島(しま)ができ、あもとあかと名(な)づけられました。


遠津海別(とおつみわけ)の山(やま)で右(みぎ)の手(て)でまくと、

多(おお)くの島(しま)が生(う)まれ、こゆかるうかると呼(よ)ばれました。


このように、

島(しま)の大(おお)きさや小(ちい)さがさまざまなのは、

天(あめ)の真砂(まさご)の粒(つぶ)が、

波(なみ)のしぶきや塩(しお)の泡(あわ)に固(かた)まってできたためだとされています。

言(い)う。


(4)原文(解読文)

此(か)く告(の)りたまゐ了(を)エて御(み)合(あ)イまして

御(み)子(こ)淡(あわ)道(が) ※1の穂(ほ)之(の)狭(さ)別(わけ)の島(しま)を生(う)みたまイき

次(つぎ)に伊(い)豫(よ)の二(ふた)名(な)の島(しま)を生(う)みたまウ

これの島(しま)ハ身(み)一(ひと)つにして面(おも)四(よ)つあり面(おも)

毎(ごと)に名(な)あり故(かれ)伊(い)豫(よ)の国(くに)を愛(え)比(ひめ)売と言(いイ)

讃(さぬ)岐(き)の国(くに)を飯(いゐ)依(より)比(ひ)古(こ)と言(いイ)

粟(あわ)の国(くに)を大(おお)宜(げ)都(つ)比(ひ)売(め)と言(いイ)

土(と)左(さ)の国(くに)を建(たけ)依(より)別(わけ)と言(いウ)

次(つぎ)に隠(お)伎(き)の三(み)つ子(ご)の島(しま)を生(う)みたまウ名(な)ハ

天(あめ)之(の)忍(おし)許(こ)呂(ろ)別(わけ)


[次(つぎ)に筑(つく)紫(し)の島(しま)を生(う)みたまウ※2

これの島(しま)

も身(み)一(ひと)つにして面(おも)五(い)つ※3あり面(おも)毎(ごと)に名(な)

あり故(かれ)筑(つく)紫(し)の国(くに)を白(しら)日(ひ)別(わけ)と言(いイ)豊(とよ)国(くに)を

豊(とよ)日(ひ)別(わけ)と言(いイ)肥(ひ)の国(くに)を速(はや)日(ひ)別(わけ)と言(いイ)日(ひ)向(むが)

の国(くに)を久(く)士(し)比(ひ)泥(ね)別(わけ)と言(いイ)熊(くま)曽(そ)の国(くに)を建(たけ)日(ひ)

別(わけ)と言(いウ)]


次(つぎ)に伊(い)伎(き)の島(しま)を生(う)みたまウ名(な)ハ天(あめ)

之(の)比(ひ)登(と)都(つ)柱(はし)と(ら)言(いウ)

次(つぎ)に津(つ)島(しま)を生(う)みたまウ名(な)ハ天(あめ)之(の)狭(さ)

手(て)依(より)比(ひ)売(め)と言(いウ)

次(つぎ)に隠(お)伎(き)の三(み)つ子(ご)の島(しま)を生(う)みたまウ

名(な)ハ天(あま)之(の)忍(おし)許(こ)呂(ろ)別(わけ)と言(いウ)

次(つぎ)に佐(さ)渡(ど)の島(しま)を生(う)みたまウ名(な)ハ両(ふた)

児(ご)島(しま)※4と言(いウ)】


次(つぎ)に【大(おお)八(や)洲(しま)豊(とよ)道(ち)之(が)原(はら)を生(う)みたまウ※5

れの天(あま)津(つ)御(み)虚(そ)空(ら)豊(とよ)道(ち)之(が)原(はら)※6※7の国(くに)ハ身(み)一(ひと)つ

にして面(おも)十(とう)五(いつ)※10あり面(おも)毎(ごと)に名(な)あり故(かれ)大(やま)和(と)

の国(くに)を秋(あき)津(つ)根(ね)別(わけ)※11と言(いイ)津(つ)の国(くに)を日(くさ)下(き)根(ね)

別(わけ)※12と言(いイ)淡(あわ)海(み)の国(くに)を淡(あわ)海(み)根(ね)彦(ひこ)※13と言(いイ)伊(い)勢(せ)の

国(くに)を伊(い)勢(せ)津(つ)媛(ひめ)と言(いイ)遠(とウ)淡(とウ)海(み)の国(くに)を遠(とウ)津(つ)海(み)

別(わけ)と言(いイ)无(む)邪(さ)の国(くに)を无(む)邪(さ)津(つ)海(み)別(わけ)※14と言(いイ)常(ひ)陸(だ)

の国(くに)を常(よち)陸(ぢ)媛(ひめ)※15※16と言(いイ)科(しな)野(ぬ)の国(くに)を狭(さ)依(より)科(しぬ)彦(ひこ)※17

と言(いイ)野(ぬ)の国(くに)を野(ぬ)道(ち)路(ぢ)媛(ひめ)※18と言(いイ)陸(みち)奥(のく)の国(くに)を

道(ち)路(ぢ)奥(のく)別(わけ)と言(いイ)越(こし)の国(くに)を越(こし)根(ね)別(わけ)と言(いイ)丹(たに)

波(ば)の国(くに)を丹(たに)波(ば)別(わけ)と言(いイ)出(いづ)雲(も)の国(くに)を出(いづ)雲(も)別(わけ)

と言(いイ)穴(あな)門(と)の国(くに)を穴(あな)門(と)根(ね)別(わけ)と言(いイ)吉(き)備(び)の国(くに)

を吉(き)備(び)津(つ)根(ね)別(わけ)と言(いウ)】


【然(さ)て後(のち)に還(かゑ)りましし

時(とき)に※19吉(き)備(び)の小(を)島(しま)を生(う)みたまウ名(な)ハ建(たけ)日(ひ)

方(がた)別(わけ)と言(いウ)次(つぎ)に小(あ)豆(つき)島(しま)を生(う)みたまウ名(な)ハ

大(おお)野(ぬ)手(で)比(ひ)売(め)という次(つぎ)に大(おお)島(しま)を生(う)みたまウ

名(な)ハ大(おお)多(た)麻(ま)流(る)別(わけ)といウ次(つぎ)に比(ひ)女(め)島(しま)を

生(う)みたまウ名(な)ハ天(あめ)之(の)一(ひと)箇(つ)柱(はし)※20と(ら)言(いウ)

次(つぎ)に知(ち)訶(か)の島(しま)※21を生(う)みたまウ名(な)ハ天(あめ)

之(の)忍(おし)男(を)と言(いウ)

次(つぎ)に両(ふた)児(ご)の島(しま)を生(う)みたまウ名(な)ハ天(あめ)

之(の)両(ふた)屋(や)と言(いウ)】


また【伊(い)邪(ざ)那(な)岐(ぎ)の命(みこ)(と)伊(い)邪(ざ)那(な)美(み)の命(みこ)ハ(と)天(あま)

津(つ)神(かみ)の御(み)許(もと)に天(あ)昇(ほ)しまして※22島(しま)の八(や)十(そ)島(しま)

を生(う)み竟(を)エたる状(さま)を審(つぶ)に(さ)申(まを)したまゑば

天(あめ)の御(み)神(かみ)諸(もろ)共(とも)に告(の)りたまイつらく

その生(う)めりし八(や)十(そ)島(しま)を本(もと)津(つ)国(くに)と成(な)し

て八(や)百(もも)千(ち)萬(よろ)箇(づぢ)の島(しま)国(く)を(に)蒔(ま)けとて天(あめ)の安(やす)

之(の)河(か)原(はら)なる天(あま)津(つ)真(ま)砂(さご)を依(よ)さしたまイき


故(かれ)二(ふた)柱(はし)の(ら)大(おお)神(かみ)陸(ちぢ)奥(のく)の岳(たけ)に立(た)たしまし

て天(あま)津(つ)大(おお)神(かみ)の賜(たま)ゑりし天(あめ)之(の)真(ま)砂(さご)を取(と)り

出(つて)※23後(うし)ろ手(で)に吹(ふ)き蒔(ま)かしたまゑば八(や)十(そ)箇(ぢ)

の島(しま)と成(な)る名(な)ハ蝦(え)夷(ぞ)※25と言(いウ)

越(こし)の根(ね)別(わけ)の岳(たけ)に立(た)たして左(ひた)の(り)御(み)手(て)以(も)て

蒔(ま)かせたまゑば千(ち)箇(ぢ)の島(しま)成(な)りき名(な)ハ

悒(お)婁(ろ)※27と言(いウ)丹(たに)波(ば)別(わけ)の岳(たけ)に立(た)たして左(ひた)の(り)御(み)

手(て)以(も)て蒔(ま)かせたまゑば太(ふと)島(しま)※28成(な)りき名(な)ハ

生(いく)津(つ)牟(む)婁(ろ)※29と言(いウ)岳(たけ)※30に至(いた)りまして右(みぎ)の(り)指(ゆび)

以(も)て弾(はじ)きたまゑばころ島(しま)※31成(な)りき名(な)ハ

生(いく)津(つ)吹(ふき)※32と言(いウ)また左(ひ)と右(み)との御(み)手(て)以(も)て蒔(ま)

かせたまゑば大(おお)千(ち)小(お)千(ち)の島(しま)成(な)りき名(な)ハ

かる※35と言(いウ)また愛(え)媛(ひめ)の岳(たけ)※30に立(た)たして

右(みぎ)の(り)御(み)手(て)以(も)て蒔(ま)かせたまゑば三(みつ)凝(こり)島(しま)※36なり

き名(な)ハ琉(り)球(きウ)※37と言(いウ)また重(かさ)ねて蒔(ま)かせ

たまエば二(ふた)島(しま)成(な)りき名(な)ハあも※38と言(いイ)

あか※39と言(いウ)遠(とウ)津(つ)海(み)別(わけ)の岳(たけ)※42に立(た)たして右(みぎ)の(り)御(み)

手(て)に蒔(ま)かせたまゑばやつぢおおち島(しま)※43成(な)り

き名(な)ハこゆかる※44うかる※45と言(いウ)

[故(かれ)處(とこ)(ろ)々(とこ)の(ろ)島(しま)大(おお)き小(ちイ)さきハ※46天(あめ)之(の)真(ま)砂(さご)の埃(ほこ)の(り)

塩(しを)沫(なわ)※47に凝(こ)り成(な)れるなり]】

(5)語句注釈


※1あわが:

あわが

古事記(こじき)は「あはぢ」(淡道(あわぢ))。上紀(じょうき)文字の「ぢ」と「が」は似た文字であるため誤写であろう。


※2つぎにつくしのしまをうみたまウ→くまそのくにをたけひわけといウ:

つぎにつくしのしまをうみたまウ→くまそのくにをたけひわけといウ

この部分に対応して古事記(こじき)には筑紫(つくし)を4面として上紀(じょうき)とは異伝をなすもの(宣長本(のりながぼん))、実質的に5面とするもの(眞淵本(まぶちぼん))がある。


※3おもいつ:

おもいつ

「面五つ」で五面。旧亊紀(きゅうじき)は、公称4面としながらも実際には上紀(じょうき)の5国名を挙げ首尾一貫しない。これに対し古事記(こじき)は旧亊紀(きゅうじき)、上紀(じょうき)が肥国(ひのくに)の対応名とする速日別(はやひわけ)を欠落させ、代わりに肥国(ひのくに)を旧亊紀(きゅうじき)、上紀(じょうき)が日向(ひむか)の対応名とするクシヒネワケの名で呼ぶ。このように古事記(こじき)、旧亊紀(きゅうじき)ともに、4面の論理を貫くためにそれぞれに矛盾をはらんだ伝承の改変や削除をしていると言える。


※4ふたごしま:

ふたごしま

上紀(じょうき)はこれを佐渡島(さどがしま)とするが他に見ない。佐渡島(さどがしま)を双子とすることには地形上、不自然は無い。一方、古史成文(こしせいぶん)はこの箇所に小字で日本書紀(にほんしょき)本文を引き「一伝云」として「雙生隠岐島(おきのしま)與佐渡島(さどがしま)。世有雙生者象此也(よありそうせいものかたどこれなり)」(隠岐島(おきのしま)と佐渡島(さどがしま)とをふたごにうみます。世にふたご生む者有るはこれによりてなり)と書いて「ふたご」の意味を隠岐島(おきのしま)と佐渡島(さどがしま)のペアと解釈する伝承を載せている。


※5おおやしまとよちがはらをうみたまウ→きびのくにをきびつねわけといウ:

おおやしまとよちがはらをうみたまウ→きびのくにをきびつねわけといウ

この箇所は畿内大和(きないやまと)を起点として日本列島(にほんれっとう)本州(ほんしゅう)部を一巡する列国名を掲げている。形式的観念的には国造本紀(くにのみやつこのほんぎ)の小分国制、律令(りつりょう)時代の分国体制に先んずる大分国制となっている。しかし実在した地名に基づく地理体制であったか、それとも思弁的修辞が生んだ記事かは不明である。


※6おおやしまとよちがはら:

おおやしまとよちがはら


※7あまつみそらとよちがはら:

あまつみそらとよちがはら

古事記(こじき)の「次生大倭豊秋津嶋亦名謂天御虚空豊秋津根別」(つぎにおほやまととよあきづしまをうみきまたのなはあまつみそらとよあきづねわけという=宣長訓(のりながくん))に当たる部分。他に重なる伝承を見ない。とよちがはらは記紀(きき)の「豊葦原(とよあしはら)」に対応する地理名称であり、葦(あし)も茅(ち、ちがや)も共にイネ科の多年草であること、「あさぢがはら」(浅茅原(あさぢがはら))の語があることから豊葦原(とよあしはら)の意味で本来「豊茅之原」と当てるべきか。しかし、高天之原(たかまのはら)に対立する地上世界をよぶ名称なので「ち」を「道」ととり、豊かな地上の国の意味として本訳では「豊道之原」と書くことにする。


※8おおやしまとよちがはら:

おおやしまとよちがはら




コメント

post264@155: (5)語句注釈 のつづき

aic00004-tooruさん
2026-01-30 19:40:59

※9あまつみそらとよちがはら:
あまつみそらとよちがはら
古事記(こじき)の「次生大倭豊秋津嶋亦名謂天御虚空豊秋津根別」(つぎにおほやまととよあきづしまをうみきまたのなはあまつみそらとよあきづねわけという=宣長訓(のりながくん))に当たる部分。他に重なる伝承を見ない。とよちがはらは記紀(きき)の「豊葦原(とよあしはら)」に対応する地理名称であり、葦(あし)も茅(ち、ちがや)も共にイネ科の多年草であること、「あさぢがはら」(浅茅原(あさぢがはら))の語があることから豊葦原(とよあしはら)の意味で本来「豊茅之原」と当てるべきか。しかし、高天之原(たかまのはら)に対立する地上世界をよぶ名称なので「ち」を「道」ととり、豊かな地上の国の意味として本訳では「豊道之原」と書くことにする。

※10おもとういつ:
おもとういつ
既に現れている「いよのふたな」(四国(しこく)地方)と「つくし」(九州(きゅうしゅう)地方)以外の日本列島(にほんれっとう)本州(ほんしゅう)部を15分国として「面十五」と書いている。はたして上紀(じょうき)以外に「面十五」と云う修辞或いは地理観念があったかどうかは不明。

※11あきつねわけ:
あきつねわけ
記紀(きき)は雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)が大和(やまと)の吉野(よしの)に行幸した時、虻(あぶ)に腕をくわれたが、この時アキツ即ちトンボが飛んで来てその虻を食い殺したので、天皇(てんのう)は喜んでその地を阿岐豆野(あきつの)と名付けたと言う伝説を語る。このアキツの名がオホヤマトトヨアキツシマ(大倭豊秋津島(おおやまととよあきつしま))、アマツミソラトヨアキツネワケ(天御虚空豊秋津根別(あまつみそらとよあきつねわけ))として日本(にほん)全体の美称となるが、もともとは大和(やまと)地方の限定的地理名であったと考えられる。

※12くさきねわけ:
くさきねわけ
神武(じんむ)東征の時、長脛彦(ながすねひこ)は河内国(かわちのくに)日下(くさか)で東征軍を阻んだ。日下(くさか)は長脛彦(ながすねひこ)の根拠地生駒山(いこまやま)の西麓である。雄略天皇(ゆうりゃくてんのう)の妃若日下部(わかくさかべ)とその兄大日下王(おおくさかのおう)はその名の通り日下(くさか)の豪族であった。上古、この地が津の国(つのくに)つまり河内(かわち)、和泉(いずみ)、摂津(せっつ)の政治的中心であった可能性は高く、「くさき」は「くさか」と音が近い。上紀(じょうき)の国名クサキは日下(くさか)と重らないか。

※13あわみ:
あわみ
近江(おうみ)のこと。国造本紀(くにのみやつこのほんぎ)の近淡海(ちかつあふみ)に同じ。記紀(きき)、万葉集(まんようしゅう)は阿布美(あふみ)などの文字を当て「あふみ」が8世紀以前に遡る音であったことを示唆する。したがって上紀(じょうき)の「あわみ」が果して原音であったかどうか即断出来ないがあわみは淡海(あわみ)である。

※14むさ:
むさ
古事記(こじき)に无邪臣(むさのおみ)、旧亊紀(きゅうじき)国造本紀(くにのみやつこのほんぎ)の无邪志(むさし、後代の武蔵(むさし))に拠り无邪(むさ)と当てる。

※15ひだ:
ひだ
武蔵(むさし)に連なる地理の実際から「常陸(ひたち)」のこと。

※16よちぢひめ:
よちぢひめ
上紀(じょうき)後続部分に土地開拓神として「かつちひらかみひこ」「よちぢひらをかひめ」の夫婦神が現れている。「かつち」は「香土(かつち)」で豊かで豊穰な土地、「よちぢ」は「吉道路」「吉土」で農耕に適した土地と訓める。古代地理の実際に照らしてよちぢは常陸(ひたち)のことで、古来霞ヶ浦(かすみがうら)の水利と広大な平野とから吉土の名に相応しい。常陸風土記(ひたちふどき)(岩波古典文学大系(いわなみこてんぶんがくたいけい))には「堺是広大〈中略〉土壌沃墳」(さかひはこれひろく(中略)たはたけもつちこえ)とあり、特に「開墾発之處」(ひらくところなり)と書いている。上紀(じょうき)の香土(かつち)、吉土(よちぢ)、開(ひら)の名辞表現になじむものと言える。さらに、「よちぢひめ」の称は「よちぢひらをかひめ」とよく符号している。第1義的によちぢは「吉陸」と当て得る。ところで、瓢箪(ひさご)を意味する「ひさご」の古語は「よさ」で、「ひさ」と「よさ」は同語であり、「ひ」と「よ」は音韻の上でいわば等価である。また、「よち」は同じ年頃、「よちこ」は同じ年頃の子を意味するが、よちは「ひた」「ひと」と同じで「一つ」(ひとつ)、転じて「同じ」の意味か。更に近世の語で横腹のことを「ひばら」と言う。八重垣島(やえがきじま)では「よはら」と言う。山形(やまがた)方言でひと(人)を「よど」と言う(全国方言辞典(ぜんこくほうげんじてん))。「ど」は「と」で語根。九州(きゅうしゅう)方言で「やま」「よま」は「ひも」(紐)のこと(同前)。静岡県(しずおかけん)藤枝(ふじえだ)、岐阜県(ぎふけん)大野郡(おおのぐん)では「時」「おり」の意味で「ほり」と言う。おりは「よりよりに」など「より」とも言う(同前)。「ほ」と「よ」の交替例である。更に、神寿言神賀詞(かむよごと)の「よごと」は「祝ぎ言(ほぎごと)」で「よ」は「ほ」(秀)と同義と捉えることが出来そうである。これらの事例から「h」音で「y」音(言語学的にはj音)と交替するものがあり、結論として、「よちぢ」は基本的に「ひたち」と同じ語と考えることが出来る。語の意味からすれば、よちぢの「ちぢ」は後出のちぢのく(陸奥(むつ))のちぢ、ぬちぢ(毛野(けの)を意味する野陸(のちぢ))のちぢに等しい。よちぢと言う同じ訓を持った吉陸(よちぢ)と常陸(ひたち)との名義上の相互関係が推定される。訳者(やくしゃ)は「やまと」は「ひもと」「ひのもと」(日本(にほん))の同義語と考える(新論日本古代史(しんろんにほんこだいし)=田中(たなか))。

※17さよりしぬ:
さよりしぬ
「さより」は細布を意味する古語「さよみ」(貲布(さよみ))と糸を「撚る」の「さ撚り」とを掛けた言葉であろう。「しぬ」は科野国(しなののくに、信濃国(しなののくに))の「科」で皮の繊維を布縄紙の原料に用いる「しなのき」のこと。布は科布(しなぬの)と呼ばれる。この地方の代表的樹木であろう。本訳では言葉の美感を採りさよりに狭依(さより)を当てる。

※18ぬちぢ:
ぬちぢ
次項「ちぢのく」(陸奥(むつ))の「ちぢ」が「陸」に当てられること、性霊集(しょうりょうしゅう)に載る空海(くうかい)の「贈野陸州歌(ぞうやりくしゅうか)」の「野陸州(やりくしゅう)」が「毛野国(けののくに)」(上毛野(かみつけの)・下毛野(しもつけの))を指していることから「ぬちぢ」は野陸(のちぢ)に対応する語彙と推定出来る。

※19さてのちにかゑりまししとき→なハあめのふたやといウ
さてのちにかゑりまししとき→なハあめのふたやといウ
古事記(こじき)島生みの末尾の記事と重なる。宣長訓(のりながくん)、古史成文(こしせいぶん)訓に全く重なる。

※20あめのひとつはしら:
あめのひとつはしら
古事記(こじき)の「天之一根(あめのひとつね)」の誤り。

※21ちかのしま:
ちかのしま
五島列島(ごとうれっとう)。旧名「大近(おおちか)小近(こちか)」。

※22いざなぎのみこといざなみのみことハあまつかみのみもとにあほしまして→ほこりのしをなわにこりなれるなり:
いざなぎのみこといざなみのみことハあまつかみのみもとにあほしまして→ほこりのしをなわにこりなれるなり
このくだりは古事記(こじき)、日本書紀(にほんしょき)、古史成文(こしせいぶん)には一切現れない。2神(にしん)が山岳(さんがく)の上から天之眞砂(あめのまさご)を蒔いて更に国を生み増やすという国蒔(くにまき)の物語になっていて、蝦夷地(えぞち)、琉球(りゅうきゅう)の名も登場しているのが特異で特徴的である。

※23つて:
つて
「つで」(出(で))に同じ。上紀(じょうき)の特異語。普通語彙「いで」に同じ「つ」は「いで」の「い」に相当し発語。

※24やそぢのしま:
やそぢのしま

※25えぞ:
えぞ
吉田地名辞書(よしだちめいじしょ)は蝦夷千島(えぞがちしま、一般に北海道(ほっかいどう))の項に「専ら和歌に用い、八十島(やそしま)の千島(ちしま)とぞ」と書き、一例として「八十島(やそしま)の千島(ちしま)のえぞが立つる弓心(ゆみごころ)つよきは君(きみ)にまさりし」(清輔(きよすけ))という夫木抄(ふぼくしょう)の一首を引く。

※26ちぢのしま:
ちぢのしま
ちぢのく(陸奥(むつ))との関わりで蝦夷(えぞ、北海道(ほっかいどう))が現れていることから、越(こし)との関わりで現れている「ちぢのしま」は樺太(からふと)のことではなかったか。7世紀、斎明天皇(さいめいてんのう)の時代、蝦夷(えぞ)、粛慎(みしはせ)を征服した阿倍比羅夫(あべのひらふ)は越(こし)の国守であった。粛慎(みしはせ)はシベリア沿海州(えんかいしゅう)から満州(まんしゅう)にかけてのツングース系民族であり、比羅夫(ひらふ)とかかわり合った粛慎(みしはせ)は樺太(からふと)経由でシベリア満州(まんしゅう)につながる民族であった可能性が高い。比羅夫(ひらふ)の粛慎征伐(みしはせせいばつ)の故事に越(こし)勢力と粛慎(みしはせ)との地政学的関係が推定される。

※27おろ:
おろ
粛慎(みしはせ)は一名悒婁(おろ)と呼ばれた。「おろ」はこの悒婁(おろ)につながる名前ではなかったか。李氏朝鮮(りしちょうせん)成宗紀(せいそうき)に1482年「夷千島王遐叉(いちしまおう かしゃ)」が朝鮮(ちょうせん)に遣使したことが見える。蝦夷地(えぞち)に勢力を及ぼした奥羽安東氏(おううあんどうし)が名を偽ったとの説もあるが、また、北海道(ほっかいどう)及び以北(いほく)のアイヌ勢力との推測も無視出来ない。遐叉(かしゃ)の奉書(ほうしょ)の中に、「我が国の西方辺境(せいほうへんきょう)は野老浦(のろうら)に於(おい)いて朝鮮(ちょうせん)と接する」との1節がある。この野老浦(のろうら)のことを、谷川健一(たにがわけんいち)氏は悒婁(おろ)とし(白鳥伝説(はくちょうでんせつ))、海保嶺夫(かいほみねお)氏は朝鮮(ちょうせん)北東部(ほくとうぶ)オランカイ付近とする(日本海(にほんかい)と北国文化(ほっこくぶんか)北方交易(ほっぽうこうえき)と中世蝦夷社会(ちゅうせいえぞしゃかい))。もう1つの考え方として、ちぢのしまを樺太(からふと)ではなく今(いま)の千島列島(ちしまれっとう)とする場合、「おろ」は後代(こうだい)のウルップ(おろに音(おと)が近い)の名に繋がるものかも知れない。

※28ふとしま:
ふとしま
若狭湾(わかさわん)の大島(おおしま)、小島(こじま)か。

※29いくつむろ:
いくつむろ
上の大島(おおしま)のことで生津牟婁(いくつむろ)と当てるか。

※30たけ:
たけ
前出(ぜんしゅつ)の越(こし)の根別(ねわけ)の岳(たけ)、丹波(たんば)別(べつ)の岳(たけ)、後出(こうしゅつ)の愛媛(えひめ)の岳(たけ)等からして越(こし)、丹波(たんば)、愛媛(えひめ)等に類するなんらかの国名を伴った山岳(さんがく)であろう。不詳だが思うに出雲(いずも)の岳(たけ)で大山(だいせん)のことか。

※31ころしま:
ころしま
すぐ後(のち)にこの島(しま)の名(な)をいくつふきとしていることから「ころ」はなんらかの普通名詞(ふつうめいし)ではないか。思(おも)うに方言(ほうげん)に云(い)う小石(こいし)、礫(れき)を意味(いみ)する「ごら」「ごろ」、いしころのころで礫島(れきとう)と当てるべきか。因(ちな)みに出雲(いずも)には建御名方(たけみなかた)が建御雷(たけみかづち)と力競(ちからくら)べをした時(とき)、2神(にしん)は島根県(しまねけん)大山(だいせん)を前(まえ)に稲佐(いなさ)の浜(はま)から海(うみ)に向(む)かって岩(いわ)を投(な)げ入(い)れたところできたのが「つぶて岩(いわ)」だと言(い)う伝説(でんせつ)が残(のこ)っている。

※32いくつふき:
いくつふき
不詳。生津吹(いくつふき)と当てるか。

※33おおち:
おおち

※34おち:
おち
不詳。

※35かる:
かる
不詳。

※36みつこりしま:
みつこりしま
琉球(りゅうきゅう)の異名(いみょう)であることから奄美大島(あまみおおしま)沖縄本島(おきなわほんとう)先島(さきしま)(八重山(やえやま))諸島(しょとう)を呼(よ)んだ名(な)か。「みつこり」は「三凝(みつこり)」で奄美大島(あまみおおしま)琉球本島(りゅうきゅうほんとう)八重山諸島(やえやましょとう)の三(みっ)つの島嶼群(とうしょぐん)を指(さ)した名(な)か。

※37りきウ:
りきウ
32綴(づつ)に沖縄(おきなわ)開拓(かいたく)の物語(ものがたり)が見(み)え、同(おな)じく「りきウ」の名(な)が現(あらわ)れている。琉球(りゅうきゅう)に当(あ)てる。

※38あも:
あも

※39あか:
あか
2島名。不詳。

※40あも:
あも

※41あか:
あか
2島名。不詳。

※42とウつみわけのたけ:
とウつみわけのたけ
富士山(ふじさん)のことか。

※43やつぢおおちしま:
やつぢおおちしま
不詳。敢(あ)えて言えば「八箇道大道島(やつぢおおちしま)」で後代(こうだい)の関八州(かんはっしゅう)のことか。

※44こゆかる:
こゆかる

※45うかる:
うかる
島名(しまな)。不詳。

※46かれところところのしまおおきちイさきハ→しをなわにこりなれるなり:
かれところところのしまおおきちイさきハ→しをなわにこりなれるなり
古事記(こじき)には無(な)い。日本書紀(にほんしょき)本文(ほんぶん)に「處々小嶋皆是潮沫凝成者也」(ところどころのをじまはみなこれしほのあわのこりてなれるものなり)とあり古史成文(こしせいぶん)もこれに倣(なら)うが潮沫(しおなわ)を「しほなわ」とし、また「またところどころのこじまはみなしほなわのこりなれるなり」と上紀(じょうき)に近似(きんじ)した訓(くん)をほどこしている。

※47しをなわ
しをなわ
祝詞(のりと)祈年祭(きねんさい)に「塩沫(しおなわ)」を「しほなわ」と訓(よ)む。


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