post166:第八章 電子の国 追い風を受けながら
第八章 電子の国
追い風を受けながら
国は地域が集まってできている。地域は都会もあれば地方もある。国と地方はサイズが違っていてもそれぞれに悩みがあるし、地域の都合にあわせた個別の対応策が求められるのは当然のこと。
アメリカでは九三年中頃から、全米情報通信インフラストラクチャー(NII)の構築を地域単位で行う方向が強まってきた。これは当然のことだろうし、地域情報通信インフラストラクチャー(RII)が構築され、それらが連結される形でNIIを目指して欲しい。NN連合のように。
しかし、新聞や雑誌などで伝わってくる報道を見ると、まるでアメリカは一九八五年、コアラ発足当時の日本の「ニューメディア、イコール、金儲け」ムードとよく似ているように思う。
新技術ネットは、リクエスト型のビデオ・オン・ディマンドCATVを実現し、デジタル・ビデオ・ショッピングができることや、リアリティいっぱいの多人数参加型ゲームが楽しめる・・・。そういったバラ色の紹介があるたびに、それを目指した企業の合従連衡が発表され心配になる。確かにビジネスチャンスではある、が、ビジネスに走りすぎて、本質的に考えねばならないはずの中立のネットの存在は求められていないのか?フロリダやいくつかの地域で地域単位で実験を開始するというが、それらは技術の実験なのか、ビジネスチャンスとしての実験なのか、それとも地域社会にあるべき社会インフラを求めての情報通信実験なのか?
報道からは、ともすればビジネスチャンスの視点が強調されており、地域市民を消費者と捉え、いかに使わせるかという運営側の気持ちがにじみ出てくる。それは非難されるべきモノではないが、地域がそれによってのみ社会基盤が構成されるのはやはり寂しい。誰もがビジネスチャンスとして捉えることができる透明なネットワークがあったほうがよさそうだ。誰もが使うチャンスを保証され、使うことによってビジネスチャンスを見い出せる公共のネットワーク、昔の電電公社的イメージがやっぱりあってほしい。
しかし、公社として投資資金が調達できなっかたり、官業経営の脱皮を目指したからこそ電電公社が株式会社になったのであろうし、それらを越える新しい地域情報運営体が必ず模索されるようになるだろう。そこで、また我々が主張していた地域情報市民公社(RIU)が頭をもたげてくる。
九三年七月、東京青山でハイパーネットワーク社会研究所の創立記念シンポジウムがあり、そういった不安と期待を述べた。
新社会資本として国がリードしてRIIを整備するのだろうか?
もしそうだとすれば、またもや東京に陳情を繰り返さねばならない。そして、常に整備される順番は人口密度の高い大都市間を結ぶ線が優先されそうで、高速道路と同じ経緯になってしまうのでは? 実は高速道路は大分市に九二年末にやっとはじめて乗り入れられた。それほどに国内では順番が低かった。平松知事はそれゆえに第二国土軸構想を提唱し、大都市同士ではない第二のルートに優先権を導き出そうとしているが。
それに新しい情報通信をどこから始めるか?は、地方にとってたいへん痛い問題を引き起こす。
ダイヤルQ2がよい例だ。東京でテスト的に認可されたこのシステムはアッという間に利用者を広げ、順次地方にも拡大認可されていった。大分は東京に遅れること約一年後に認可されたが、人気の高さを示すかのごとく、大分へひと月で約五十件のサービス提供者の利用申し込みがあった。が、その内訳は九〇%が県外者である東京、大阪、福岡からの申し込みであったとのこと。つまり、一年間に東京でダイヤルQ2がビジネスとして認知され、それを目指す業態が大都会で先に確立されたのであって、そのチャンスがなかった大分は東京のマーケットでしかなかったことになる。どこから認知されるかが新産業創出の機会を導きだし、それが東京にある行政の認可によって引き起こされるならば、ますます東京に我々は通わねばならない。大都会からの認可が当然だとしたら、新産業が生まれる大都会はますます魅力となり、一極集中はますます加速されてしまいそうだ。ましてや、その認可合戦には政治家を巻き込んでの地域エゴ競争が表に出してしまう。
新しいもの、おもしろいものはまず地方から、魅力ある未来産業はまず地方から、という構図をつくってほしい。
RIIは国に頼らず、企業がリードして整備するのだろうか?
NTTは企業になってしまったけれど、九州だけ国家レベルの公社のままであったらなぁ、などと思うことも多い。もしも企業として採算を重視し始めれば、国の高速道路の着工順番のように地方があと回しにされてしまいそうだし、企業家として将来にわたって不採算になってしまう部門を設立し維持し続けることは、社員や株主などへの背信行為に近い感覚になってしまう。
かといってNTTを分割して、九州だけたとえ公社として独立させても不安だらけだ。公社ではないが分割されたJRの場合はどうだったか?九〇年七月に九州に台風の大被害があって大分~熊本間を走る豊肥線が水害で不通になったがJR九州は「お金がない」という理由で十一ヵ月間不通のままだった。九三年の台風でまた不通になってしまったが、カネのないJR九州は大分県や熊本県などの地元の自治体の応援がなければ不通のままに捨て置かざるを得ないように見える。〝NTT九州〟もそうなってしまうのだろうか?
九三年三月期のNTT九州支社の収益発表は大問題だ。総収益四千九百八十四億円だが経常損失が七百五十五億円だった、という。NTTの十一支社で最大の赤字だという。冗談ではない。もし、採算面から九州の情報通信インフラの整備が検討されるとしたならば、JR九州同様に大風で断線あるごとに「普及されるかどうか?」を皆で心配せねばならない。いまどき「電話が不通のままです」なんてことがあったとするなら、精神不安を起こしてしまう。その地域には住めるものではない。
採算がおぼつかない地方のインフラ整備は、国の力、NTTなどその情報サービス体全体の力、該当地域内の自助努力の力の三つを組み合わせて整備し、その結果として多極分散社会が実現されるよう考えてほしいものだ。
株価の上がり下がりで企業経営方針が右左しかねないのが企業論理だ。
さらに、地方地域内の情報サービスに対する企業論理は、独占化メリットを追う行動が顕著で、そのサービスを今はしなくても、将来を考えて他企業の進出を押さえる行動が出たりして、住民は早めの新サービス享受するチャンスを逸してしまうこともあり得る。この状況は、以前あった新FM局や民法新テレビ局開設時の行動から類推できそうだ。企業論理だけでRII整備論理を組み立てないでほしいものだ。
どうやら、企業の論理と行政の論理を両方を絡ませた新しい整備方式がいよいよ模索されるのだろう。
そういった事柄が頭の中で渦巻いていた九三年夏頃から、アメリカのシリコンバレーのスマートバレー社のことを聞くようになってきた。新聞や雑誌で報道される内容 、ハイパーネットワーク社会研究所などで収集した情報を総合すると次のように見えてくる。

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