post164:アンニュンハシムニカ
アンニュンハシムニカ
DACOM主任研究員の柳京煕(ユー・キョン・ヒー)さんが韓国からコアラ見学に来たのが八八年三月。それ以降、メールや電話での交流が少なからず行われていた。翌八九年五月、会社の社員旅行でソウル旅行に行くことになり、私は生まれてはじめて韓国に行った。
朝の十時三十分ににユーさんの車がホテルに迎えにきて、DACOM本社ビルに行った。その最上階に三人の美人秘書を抱えた役員室があり、一隅にユーさんの部屋があった。そして、その奥にDACOMの初代社長である、ヤン・テン・リーさんの部屋があってユーさんに紹介された。
前知識なくお会いしてしまったが、あとで聞くととてもすごい人だった。
日本語がペラペラであるし、文化面にもとても尊敬を集めている人のようで、あの豪放なユーさんが、彼の前ではとてもおとなしいというか、尊敬しているがゆえに遠慮がちに話を進める。これには少々驚いた。
伝え聞くところによると、私の直前に日本の大手運輸会社の会長が会いにきてたようで、日本と韓国のデータ通信接続による企業利用のビジネスミーティングを行っていたようだった。
私は問われるままに一時間ほど日本の現状(コアラの現状かな?)を話したたが、とても鋭い質問があったり、反面、あくまでもコンピュータネットワークを広く普及させるためにはビジネス利用がなければならないので、そのビジネス利用例を先進国から学ぼうと一方的に思い込んいるような、とても複雑な気持ちになってしまった。また素直に、地方都市である大分でなぜそんなにパソコン通信が広まったかを執拗に問いただす。とにかく質問の大半は「どうやったらコンピュータ通信を普及できると思うか? 日本はどうやってきたのか?」であって、韓国の次をどうするか、とユーさんに劣らぬ大変な意気込みであった。
そして、その時にソウルで「韓日パソコン通信フォーラム」をその秋に行うことに合意、帰国後、大分だけでは参加者が少ないだろうことを踏まえ、日本側事務局として東京のネットワーキングデザイン研究所の会津さんに依頼した。
結果的に十一月三日に第一回のフォーラムを行ったが、当日、私は常陸宮殿下のコアラ見学と重なり行けなくなってしまった。日本から東京都立科学技術大学の八戸信昭教授を団長に、大分から佐藤友行、瑠璃子夫妻と松村知美さんが参加した。総計十三人と少ない人数ではあったが、初回でもあり、おおいに盛り上がったようだった。そして八戸先生や会津さんなど東京側参加者もほとんどがコアラメンバーであったので、ますます韓国の中でコアラの名前が有名になってしまった。松村さんは、「パソコン通信してたら、いつのまにやら韓国にまで来てしまって…。夢のよう」と自分自身の変わりように驚いていた。
翌九〇年三月、ハイパーネットワーク日出会議にユーさんとICC関係者が参加して、ますます大分と韓国の縁が深まっていく。
ということから韓国熱が徐々に高まってきて、九〇年六月、単身赴任者であった石油会社役員の伊藤富雄さん、高校教師の宮瀬雅士さんが議長になって、韓国をテーマにした会議室を設けることとなった。ここは韓国からアクセスできるよう、デモIDでの書き込みを可能にしたところ、さっそく韓国からアクセスが起こってくる。名を知られているコアラの中に「Korea」会議室ができているのだから、興味を持ってくれる韓国の人達が出てきて不思議ではない。なにせユーさんが韓国内で一村一品運動とコアラを相変わらずPRしていてくれているのだから。
その効果が即座に現れ、七月に韓国学生二人がコアラ見学に大分にやってきた。伊藤議長はそれに気をよくして、その内の一人、よくアクセスしてくる申東勲君を自分の家族会員として、韓国の物価からは高いだろうコアラ会費の補助を始めたりしたほどだった。 九〇年はハイパーネットワーク社会研究所調査委員会が九月からスタートしたが、ICCのリー会長に委員に就任していただいたことはすでに紹介したとおり。そういった一連の動きは韓国から見て驚異だったらしく、十月にICCがスポンサーの韓国内テレビ番組にコアラを紹介したい、とユーさんが六名の取材スタッフを連れて一週間に亘って大分にやってきた。
番組の名前は『ビジョン2000』。
二〇〇〇年の韓国を考える、というドキュメンタリータッチの番組で、毎週金曜日の夜十五分間放送されているもの。大分で情報化と一村一品運動が絡み合っているところに韓国の未来を感じたらしい。とくにコアラのような電子ネットワーク環境は、日本から数年は遅れていると感じていて、それをクローズアップさせたいようだった。
でき上がった番組の録画テープを数カ月後見てみると、なんと三本セット。つまり三週間に亘って大分が紹介されたようだった。
「アンニュンハシムニカ」で始まるテープの第一巻、最初にコアラ会員の帆足慎二君が出てくる。取材当時、彼は護衛艦ちくごに乗艦する海上自衛隊員。除隊後の住む場所として〝コアラがある大分〟に職場を探したい!と、休日を利用して職探しにきていたのだが、それがちょうど取材に当たってしまった。コアラ内で「求人・求職」が電子メールなどで進められ、面接段取りができて生まれ故郷でない(ましてや東京といった大都会ではない)電子ネットワークの中心地〝大分〟に住むことになるという、村おこし的効果に照準を当てている。その帆足君の話が終わると、さっそくコアラ名誉会長、平松知事の登場と続く。
そして十一月十日、第二回の韓日パソコン通信フォーラムが同じくソウルで行われた。今回は人数を拡大すべくPC-VANなど大手ネットの韓国コーナーの人達にも積極的に出てきてもらったし、大分からはKorea会議の三議長が参加。当時十八歳の学生であった帆足美佐子さんが両親をキチンと説得して参加したのには、皆を驚かせた。
さらにもう一つ驚いたことに、フォーラム全体会で韓国側主催者からコアラのKorea会議室議長三人に対して「韓日パソコン通信交流に大きく貢献した」という実績を評価され、立派な感謝の盾をもらった。思いがけない表彰に本人達は感激したのはいうまでもない。これでまた韓国内でコアラの名前が輝いていく。そして、帆足美佐子さんの活動力に皆が敬服してしまった。

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