post162:システムのグレードアップとコロンブスとの接続

システムのグレードアップとコロンブスとの接続


 ニューコアラは、会長、事務局長が旧コアラからの就任で代わり映えしなくとも、新発足時から正規に県がかかわっており、本格的な公共ネットワークとしての認知がより強まって新しい動きを導き出す。例えば、県を含めたフォーマルセクターのグループ利用(CUG/Closed User Group)が出てきた。

 最初は(株)ホームワイドで、大分県内のみならず福岡や宮崎に展開する店舗間の情報交換に首藤晃良社長自らが取り組むと表明してきた。彼は大学の先輩で、大分から上場を果たしたサクセスストーリーの人。昔、シリコンバレー調査に一緒に行ったが、アメリカで仕入れた知識やノウハウを家業の鉄鋼販売業からドゥ・イット・ユアセルフの専門店へと大きく業種転換を果たした人物であり、情報通信、とくにコミュニケーション利用が企業を変えることになる、と昨今意を強めている。彼の企業利用表明は新聞に発表されて、ニューコアラにはよい祝儀であり心強い話だった。また、去年まで県でコアラを担当していた山戸さんは転勤先で国東保健所の保健婦さん達をグループ化してCUG利用を申し込んできてくれた。それだけでなく、前の情報化推進室の武田室長は中小企業課長となり、商工会や商工会議所など中小企業指導団体の情報交流にコアラを使って効率化を目指す動きをスタートさせた。県立芸術文化短期大学の女子学生に対する授業利用といい、普段の業務の公式利用の芽が出始めている。

 また、前年秋に先行的にホストのハードだけが納入さていたが、いよいよソフトのバージョンアップが終わって、本格的にCOARA-4として稼働開始した。大人数に対応できるよう、電子会議システムを改造し「会議場」が複数集まった「タウン」をメタファとしたものができあがった。これで、利用者が増えコミュニケーションが広がって会議室の数が多くなったことにスムーズに対応できるようになったし、会議場間を横断する検索など、使い勝手が格段に向上した。COARA-3の開発から今日まで、一貫してコアラ関連のシステムプログラマーとして動いている富士通大分ソフトの首藤昌美君は、私のいいたそうな点があの頃のような議論がなくてもわかるようだ。方向性だけ示せばよい。

 また、ISDN回線や高速の14.4kbpsモデムやMNPクラス10など高機能のエラーに強いモデムが整備された。ニューコアラのホストはインターネット用のホストとLANで結ばれて、全体でダブルホストシステムとなっており、今後は拡張がやりやすくなる。将来的には、情報センターを名実ともに「電子情報センター」とすべく、インターネットの県内と県外を結ぶ結節点となるような素地が出来たといえる。いや、インターネットの概念はコンピュータを「ホスト」から「サーバー」へ変化させるものであり「サーバーセンター」構築の素地ができたというべきか。

 そして、新機能の一つとしてゲートウェイの機能アップがある。前年来からパケット利用で瞬時に他システムへの接続が遅まきながら整備されてきたが、それを待つかのごとくPC-VANとの相互ゲートウェイが実現された。片方でNN連合という地域連結全国ネットを持ち、もう片方で大手商用全国ネットを持つことは、ニューコアラが二つの異世界の結節点であって、ストロー現象を起こさせず、ニューコアラの存在をおもしろくさせている。NIFTY-Serveにもゲートウェイを申し込んだが、接続先課金方式でのみ対応ということで、デモIDを広く開放している我々には馴染まない。が、いずれ何とか交渉しよう。ネットとネットが結ばれて何重にも何ヵ所にも相互接続され、ぐちゃぐちゃに巻かれたワイヤー玉のようなネットの集合体、いま盛んにいわれている「The・Net」を目の前に出現させ、〝I do COARA〟 から〝I do Net,The COARA!〟 というイメージこそ未来にふさわしい。

 いや、もう一つ重要なことがあった。

 この新ゲートウェイ機能を生かしつつ、ニューコアラに生まれ変わったからこその変化があった。

 コアラからコロンブスへのゲートウェイがパスワード無しで実行されるようになったのである。今までもゲートウェイができていたが、ダイアルアップで時間がかかっていただけでなく、コロンブス利用には情報センターからあらかじめコロンブス用に専用ID、パスワードを別途交付してもらう必要があった。が、今回、ニューコアラ運営委員会に県、情報センターが加わることでコロンブスとニューコアラが一体的に取り扱えるようになった。専用ID、パスワードを持たずともコアラ会員なら誰でもコロンブスを利用できるよう制度的に確立されたのである。

 コロンブスを使いこなそうとコアラが発足して満八年、やっと制度的にコアラユーザーがコロンブスを利用できる環境が整ったということであり、〝大きな大きな一サイクル〟がようやく終わったような感覚になる。

 スタート当初(一九八五年)、県から三百万円の補助をもらうために未来ビジョンを掲げたが、やっとコミュニケーション・サブ・システムとデータベース・サブ・システムが正規に接続され、その姿がいよいよ本物になった、と実感したものだった。



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