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コアラ海外へ行く!
私は英語がまったくダメ。にもかかわらず、ついに公文先生、会津さんの誘いにのって、観光でなく会議に出かけて行くのだから…。自分でもあきれてしまう。
その会議はENA(エレクトリック・ネットワーキング・アソーシエイション)の第五回国際大会。ENAはアメリカのネットワーカーの団体で、任意団体ではあるが、それぞれに個性ある学者や企業人、一般市民が何かを感じて集まっているもので、今回はサンフランシスコでの大会。そのサンフランシスコの代表的ネットワークであるWELLの中心的人物ハワード・ラインゴールド氏は、日出会議の「ハイパーネットワーク」という言葉を大事な概念として捉えてくれているのは承知のとおり。
しかし、アメリカの会議というのはずいぶん日本と違うように思ってしまった。
プログラムを見ると、五月二十三日(水)から二十六日(土)の四日間ぎっしりのスケジュール。前後のエクスカーションまで入れると全六日間ほどの長期間だが、日出会議はたったの二日間。その他に同時に進行する分科会の数が十から十二ぐらいあるし、私の名前がスピーカーとして載っている分科会は朝から夕方までの丸一日セッションとなっている。日本ではせいぜい三つから五つまでしか分科会がないし、パネルディスカッションも長くて四時間ぐらいのものだろう。うーん、どうなっているのだろう、と訳のわからないまま前夜祭(Opening Diner)に参加。
そのオープニング・ディナーも様子が違ってた。
日本から一緒に行ったメンバーは、藤野行嗣君(コアラ東京特派員)、愛知県碧南市役所の山田さん(もちろんコアラ会員)、仙台市役所の今井さん。彼は一昨年、仙台市で開催されたネットワーキングフォーラムを国際大会としてENAのメンバーを多数仙台市に迎えた経験を持つ。もちろんコアラのIDを持っている。会津さん達とは現地でドッキング。
夕方六時から七時の間が簡単な食前酒によるネットワーキング・アワーということで、いろんな人に再会。公文先生も、
「ついにやってきましたねー」
日出会議に来ていた韓国のユー・キョン・ヒーさんも
「やぁやぁ、尾野さん、毎週のように会いますねぇ」
ラインゴールドさんも、何か(?)盛んに話しかけてくる。
サンタモニカのケン・フィリップスさんも、ワシントンのリサ・カールソンさんも、フランクバーンズさんもいる。日本からきていた電通総研の船田さん達には
「やぁやぁ、はじめまして」。
皆さん、コアラのメンバーになってもらっているので笑顔を絶やさず挨拶。
で、ここからがすこーし違う。
丸テーブルを囲んで食事しながらお互いに名刺交換しつつ、 エッ、ノルウェーからですか? 何、スウエーデン? なんてことになってしまう。ほぼ食事がいきわたったところで、何人か登壇。パネルディスカッションのようだ。話はともかく、コーディネータはプログラムに載っている人とは違う人が行ってる…。当初予定されている人が壇上にいるにもかかわらず。で、突然のごとく、壇上のラインゴールドさんが勝手に(誰にも断わらずに)降壇して出て行ってしまった。はて?アメリカってこんなものなのかなぁ?
さらに困惑してしまったのは、翌日二十四日(木)の会議。
朝、九時から十時までの基調講演が終わったあとで、さて、今日のお目当ての「Interractive Multiple Media:What Future for Netwoking?」の分科会に参加しようと思ったら、中止になったとのこと。理由は、人が集まらないだろうからってこと。すごい!人が集まらなかったら当日になって中止してしまう! 日本だったらメンツをかけ、会社の社員に動員かけてでも格好がつく程度には成立させてしまうが、人気がなければ閉めてしまうなんて、ブロードウェイのミュージカルだけかと思ってたけれど。まさに民主主義の国だなぁ、と妙に感心してしまった。
で、しょうがないので「Toward the Art of the Next Century:Cybermedia,Telecomputing and Global Perspectives」という分科会に出たのだが、やっぱり参加者が少ない。せいぜい十五~二十人ぐらいだろうか。それも午前中二時間のセッション中、目まぐるしく次から次へと予定していたらしい人が話すのだが、どうやら聴き手よりも話し手のほうが多いのでは?
ところで、会場はパシフィックベルのマルチメディアセンター会議室をメインに使っていたのだが、なかなかにおもしろい。演壇者は、演壇に取り付けてあるモニターテレビで自分がどういう格好で話しているかが見れるし、今は日本でも当たり前だが正面のスクリーンは、ビデオにもスライドにも、扉を締めればホワイトボードにもなってしまう。ということで話の内容よりもその操作が面白かったのは、英語に苦しむ私だけかもしれない。
ふーっとため息ついて昼休みにホテルに帰ると、そこにはコアラ会員が待っていた。今年の四月からサンフランシスコ勤務になったという住友銀行の三浦裕さん夫婦。二人とも臼杵の出身で数年間は日本に帰れないということで、コアラを使ってオンライン・Uターンしたいと藤野君と話し合ってた(藤野君の奥さんも臼杵出身)。世界中あちらこちらにコアラ会員がいるなぁ、と改めて感心。
何やかやでいよいよ金曜日。私達の本番。
その朝の基調講演者は、FCCの六六~七三年の委員長であったニコラス・ジョンソンさん(当時はアイオワ大学で法律の先生)。FCCというのは連邦通信委員会の略で、アメリカの通信政策を実施する立場にある相当に重要ポストでる。ということのためか、会場は満席だった。公文先生いわく「彼は役者だねぇ。話術が玄人だ、じわじわと盛り上げて行くし、声色まで使っておもしろくしてしまう。残念ながら、英語の最後のニュアンスが今いちわからなくて完全に笑えないのだけれど」 公文先生でさぇわからない?じょうだんじゃぁない、と空を見つめるのみ。
十時から始まった我々の分科会「GLOBAL Networking Around and Beyond the Pacific Rim」には二十五名ほどが集まって、何とか中止されずに(?)始まったようだが、何とそのニコラスさんが、我々の分科会に来ているではないか!ふーん、これはおもしろい。
最初は、まず韓国のユーさんから発言。ユーさんは、確か五月十三日に韓国からパリの国際会議に行って、そのまま十六日に来日、滋賀県で行われた日本のネットワーキングフォーラムに参加(そこでも私は会った)。さらにそのままアメリカにきていて「いいかげんに韓国に帰りたい。今日、ネットワークを使って息子と話したら、どうやら自動車免許試験に落ちたようで、車を買ってやらずに済んだようだ、この会話は韓国では初の海外からの親子オンライン会話という歴史的なことなんだが・・・」などとユーモアを交えて話す。さすが国際人。
今度は日本側から、まずコーディネータの会津泉さんが日本全体の概要説明、そしていよいよ私の番。当然ながら会津さんに英語に翻訳してもらった。
大分は、東京一極集中を解決すべく一村一品運動を展開し、注目を集めているが、情報化はさらに有益な決め手になるのではないかと、さまざまな取り組みを行ってきている。とくに、最近は豊の国パケットネットワークという遠近料金格差を解消する施策を世界でもはじめて行ったことで注目を集めているが、これは民間資本が採算性のために手を出さないことを、地方自治体自らが地域住民のために用意した情報道路であるだけでなく、さまざまな情報サービス体を合体させたところにおもしろさがあり、それらの個別が持つメリット・デメリットをうまく吸収する新しいタイプの情報運営体の存在が垣間みられること。
我々はそれをコンピュータ学者の増田米二氏の言葉からとって、RIU(Regional Information Utility/情報市民公社、または情報市民生協)と呼んでいるが、先日、大分県日出町で行った会議で、十年先、十五年先のコンピュータネットワークを考えた時、今のように文字や静止画だけでなく、動画(ビデオ)や音も取り扱うようになるだろうし、その時にはCATVやTV、郵便、出版などの既存メディアと融合した新しいメディアが出現するはずで、それらを運営することができる、今までのNTTのような存在が地方ではとくに望まれるようになると考えている。まさにRIUの存在を予言したくなる、かつ、そういった未来のコンピュータネットワークが、東京やニュヨークといった大都会でなく大分といった地方都市で、刺激も魅力もある地方生活を保証する一つの方策になるようなことを考えてみたい。我々は公文先生をリーダーに、コアラのネットワークの中でハイパーネットワークと名づけてそのネットワークの研究をスタートさせたところだ。
そういった内容を、苦労してつくった英語の資料や通産省がつくったビデオの一部分も利用してプレゼンテーションしたのだが、拍手が二回あったのには驚いたり、うれしかったり。
午後になり、話すべき人がひと通り話終わって自由討論になってのこと。よその会議の議長をしているはずのラインゴールドさんがたびたびこちらの会議室に顔を出しにくる。いいのかねぇ、自分の会議を放ったらかしにして。というよりも、前回の日出会議の延長線上にもあると感じてか、「ネットワークの中でお互いの意見を交わそう」と少々興奮気味にみんなに話していたようだ。
最終的には公文先生にまとめてもらったのだけれど、どうやら我々の〝ハイパーネットワークを研究しよう〟という考えは好感を持って迎えられたようで、すべてが終わったあと、何人かの人が名刺交換にきてくれたし、わざわざ自分の上司を紹介してくれた人もいた。
とくにニコラスさんはこちらが話している間中、機関銃のようにパソコンにレポートを書いていたし、とてもおもしろがってくれた。「コアラにも入りたい」というので、その場でコアラに登録してあげたのだが、大分に帰ったら追っかけるようにその時にもらえなかった名刺を同封した手紙がきて、
「There are a lot of problems to overcome,it is true,but if we all keep working at them perhaps we can be some of the pioneers in improving the relations betwee n all of our peoples.」
とも書いてあった。
ふーむ、レスポンスをもらえるってことはうれしいことだ。こうなると、我々日本側、大分側は、ただ単に「研究するゾー」だけでなく「研究しているのだが途中経過としてこんなことを考えている」という成果を持たないといけないはず。だんだんと苦しくなる。
とにもかくにも、公文先生をリーダとした〝日出サーカス団〟は、すべてが終わった日曜日の午後、サンフランシスコ郊外サウサリートにあるラインゴ-ルド家のブランチ・パーティに招待された。これもなかなかにおもしろい。私にとってははじめてのアメリカでのホームパーティ。
予想はしていたが、ハワードさんってヒッピーだったんですねぇ。私達団塊の世代のちょっと上ぐらいで、カウンターカルチャーがわかる人物だったのにはおおいに納得してしまった。家具や服装が雄弁に物語っている。そういえばヒッピーって、人とのつながりやコミュニケーション・コミュニティのあり方をとても大事にする人達だったはず。
集まってきた人達がおもしろい。まずは、コンピュータやワープロに今や必ずついているマウスの生みの親、ダグラス・エンゲルバード夫妻。彼は伝説的な有名人で、例のENA大会オープニング・ディナーのパネルディスカッションは彼の名誉をたたえるためのものだったようだった。その奥さん笑いながらいわく、「私を呼べば、ダグを連れて日出会議に行ったのに」
なるほど。
そして、ENAの新しい会長、マーガレットさん。最終日に役員改選で決まったのだが、何と我々〝日出サーカス団〟の副団長兼国際部部長ともいうべき会津さんは副会長になってしまっていた。で、彼女は会津さんが会議席上で「グローバルであるためには本当に言葉のカベが問題だ。私のように英語が話せているように見えている者でも外国人であるせいか三〇%ぐらいしか真意がわからない」などと訴えてるものだから、「あなたは今回の会議がどの程度理解したと思っているか?」などと聞いてくる。うーん、こちらが知りたいぐらいだ。
また、すべてのENA行事が終了した土曜日の夜、大きな倉庫を改造したロフトでコアラ例会風のパーティを主催したARTCOMのカール・ロッフェラーさんもきてて、「コアラに参加したい」といってきた。彼はWELLの中心的なメンバーの一人。とっても几帳面で礼儀正しい人で、二年後の第二回の日出会議(別府湾会議)の時は大分にやってきた。そのほか素敵な日本女性と結婚しているチャールズ博士や、アップル社の人などなどで、とてもにぎやか。
そして、アメリカだなぁって改めて思ったのは、出前のマジシャン。場を盛り上げようとハワードさんが呼んだ芸人で、急きょ部屋の中に椅子を揃えて始まった。スゴイ、スゴイ、次から次へと観客を前に引っ張り出してあっという間に観客を乗せてしまった。このショーだけは〝英語〟なんて気にならない!久方ぶりに思う存分笑ったのはいうまでもない。

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