post135:韓国のユーさん
韓国のユーさん
距離の克服は国内だけでなく、海外でも挑戦が続いた。
あちらこちらのネットで海外に出かけたネットワーカーが、旅行先の模様をあれこれレポートしているのもごく当り前になってきたが、旅行者ではなく、海外長期在住者が日常的な日本へのアクセスを考えた場合、毎日、経済的に通信するためには、どうしてもパケット網が必要になる。しかもアルファベットによる通信ではなく、漢字による通信がぜひともほしい。
以前、KDDの上田さんがしていた挑戦はそのためのものだったが、その上田さんが転勤先のジュネーブから時おりアクセスしてくる。しかし、パソコン通信用にパケット網のパラメータを毎回設定するのが煩わしいようだった。
八八年三月、KDDを紹介者にして韓国の国策データ通信会社DACOMのユー・キョン・ヒー(YU.Kyong Hee)さんがコアラ見学にやってきた。
当時、韓国は二つの国策通信会社しかなかったようで、ちょうど、日本のNTTとKDDのように、KTA (Korea elecommunication Authrity)とDACOM (Data Communication Corporation of KOREA)があった。日本は、通信を、NTTは国内、KDDは海外、という分け方をしているが、韓国はKTAの一般電話網(モシモシの声などが主体)と、DACOMのデータ通信網(まさに我々のコンピュータ通信!)に分けて、それぞれ国内も国際間もすべてやっていた(数年後にこの垣根が取り払われることになる)。つまりは、縦割りと横割りの違いのようなもの。ユーさんは、そのDACOMのプリンシパル・サーチ・フェローという肩書で、会社の組織図を見ると、この人の上は社長しかおらず常務待遇となっている。業務は講演、研究、そしてDACOMや韓国の次代の情報通信のあるべき姿を考えるのが役割である。
会って話を聞くうちに、韓国の情報通信のために一生懸命身を捧げていることがわかってきた。今回は、フランスで行われたISOの国際標準化会議に出かけての帰りに日本に寄ったとのこと。韓国内では、コンピュータのハングル語の標準化委員になっていて、たいへん苦労しているともいっていたが、彼は数年後に韓国標準院院長となって、自らそれをやり遂げることになる。
当時はそういう背景がよくわからないままに、気になる韓国内のパソコン通信のことを聞くと、今のところDACOMが運営しているネットワークしかないようで、会員も二百人程度とのことだった。ただ、スタートしてまだ一年であることから推察できるように、二百人の会員は韓国内でもたいへんに先進的でな人達であるし、パソコン自体も高いので、それが入手できる流行作家や大学教授などである、といっていた。
それがなぜコアラを?韓国の中心ソウルでのネットワーク普及であったなら、東京での調査で十分ではないですか?という問いに対して、彼は、「大統領が国民投票で来月選ばれたら、そのあとは地方にも改革の波(知事は中央からの任命知事であったが、住民選挙で公選されるようになる)が及ぶだろう。そういった面からも、次なる状況として地方にネットワークを用意したい。その時のモデルケースとしてコアラを勉強したい。また、今後の行政の指導者はただ優れているだけではなく、情報化にもあたっても先がわかるような人が選ばれねばばらないと思う。それで、そのモデルとして平松知事に会いたいのですが」ということで、平松知事にも会ったが、知事はとても喜んで自著『東京にできないことをやってみよう』にサインしてプレゼントした。 ユーさんは、コアラのホストが置いてあるソフトパークの一角に完成したインテリジェントビルにもとても驚いたようで、
「尾野さん、私は、半年分の仕事をこの一日でしましたねぇ」と盛んに繰り返していたのがなつかしい。彼は、アメリカのネットワークSOURCEの利用者で、それで知り合った世界中の人達との交遊をとても大事にしているようで、過去三十五ケ国を訪問したというし、韓国人としてはめずらしく北京やモスクワにも行ったとのこと。出国が制限される韓国では考えられないほど世界各地に出かけてる。今回の訪日中、NIFTY-SERVEの人が東京の宿泊先に突然訪ねてきて、
「オリンピックの模様をパソコン通信で流したいので、ぜひとも力を貸してください」といってきたそうで、彼の活躍ぶりがうかがわれた。
その彼は、平松知事の
「コアラに入会しなさいよ」の一言で、
「ハイ、当然です」
と一万三千円を出して帰っていった。
また、私の部屋のハングル文字が表示されない日本製パソコンで韓国にアクセスしてみせたり、かつ、韓国に帰ったあとのデモンストレーション効果をあげるために、「日本からです。今、コアラにいます」という主旨のメッセージを書き込んだようだ。ユーさんも自国のネットワーク社会を立ち上げるのに一生懸命だということだろう。
ユーさんは、私と別れてホテルに帰るタクシーの中で、韓国の村おこし運動であるセマウル運動最高責任者の不祥事逮捕のニュースを聞いたという。
ユーさんは韓国に帰ってから、さっそく電子メールを寄こしてきた。「知事からいただいた本がとっても面白い。一村一品運動はセマウル運動に代わって、こらからの韓国に必要な運動だ。これを韓国で紹介してよいだろうか?、韓国語に翻訳して新聞などに紹介してよいだろうか?」
という問い合わせである。
それは私に聞くより、平松知事に直接メールで問い合わせてください、と返事を返したところ、その通りにメールして知事から快く了解の返事をもらったようだった。
韓国内でのユーさんのそういった活動は、現在、大分で韓国からの見学者や観光客が増えている一要因であろう。
後年、彼との間でさまざまなイベントを組んでいく発端であったが、通信費問題は常に障壁であった。

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