post114:COARAー3が稼働開始!しかし、混乱!
COARAー3が稼働開始!しかし、混乱!
そうやってあたふたしている間に、ついにCOARAー3を本稼働させる日がやってきた。開発に取りかかって一年以上が経っているが無理もない。はじめての試みが多すぎてそう簡単にはでき上がるものではなかったが、いよいよ一般開放してあとは徐々に手直ししていけばよいだろうと、ハラを決めた。NHKの衛星放送が本放送され始めた七月初旬であった。それまで動かしていたCOARAー2はすでに限界にきており、ハードディスクの容量の心配や、頻繁な同時アクセス、アップロードの影響で書き込みされたはずの発言がたびたび消えてしまうという、致命的な故障が発生し始め、これ以上はCOARAー2に頼れない状況に陥っていた。さらに、全国大会をコアラに誘致しようという状況であれば、なおさら早急に動かす必要があった。
COARAー2は、七月十九日の最終日に「さよなら、COARAー2」「お疲れさま、COARAー2」などと多くのメッセージが寄せられる中、過去一年強のさまざまな思い出を載せて、閉じられていった。
その翌日、コアラシステムは完全休止を行い、COARAー2の過去のコミュニケーション遺産を、新システムであるCOARAー3へ富士通OSLグループが一日ががかりで移転完了。
そして二十一日、いよいよオープンした。
喫茶やあちこちの会議室でお祝いのメッセージが乱れ飛ぶ。皆、新システムに興奮気味である。ところが、その当日深夜、システムダウンしてしまった。幸いにして利用者が少ない時間帯だったので翌朝早々に再スタートさせたものの、先が思いやられる。原因は、特にパケット通信制御部のプログラムが不調で、これが致命傷のようだったが、この部分は大分のOSLが担当としておらず、富士通の東京でつくられているために手が出ない。何度も何度も東京側に連絡をとってもらうがなかなか最終原因が見つからず、毎日が恐る恐るの運転であった。
また、アクセスしてコネクトしたあと、ホスト側がウンともスンともいわなくなってしまったりと、思わぬ障害発生が続きOSLともども毎日がとてつもなく慌ただしい状況にあった。それに拍車をかけたのが会員からの意見・要望であった。COARAー3の使い勝手を説明する「マニュアル会議」室を開設したのだが、単なる使い方の問い合わせだけでなく意見交換の最大の場になっていた。
何しろパソコン通信は、誰にでも意見を述べるチャンスを公平に与えるというメリットがある。その部分が最大限に生かされて、ユーザーとしての感想や要望を直接書いてくる。確かに有益な意見が多いのだが、時にはそれが勘違いであったり、ユーザーのパソコン側の問題であったりするので、気軽に意見を書かれても一つひとつの問題を詳しくトレースし、原因を切り離し、対策を取るのはたいへんなことである。OSLグループは、本来の仕事である残りのプログラム開発などそっちのけで、その対応に一生懸命にならざるを得ない。
とくに、東京から高い通信費でかけてくる藤野君や、毎月アクセス回数がトップの原口功君が手厳しい。原口君は弟と同級であるが、高校を卒業して裸一貫渡米、七~八年間あちらでさまざまな職業を経ながら頑張ってきたという特異経験者で、それだけ一種独特のものを持っている。彼は、ユーモアを交えてシステムのユーザーインタフェース改善を申し入れてくるが、時にはそれがかなわぬとなると執拗に変化球を投げてくる。
私と富士通の間では業務連絡専用に秘密会議室を設けていたが、そこで相談する余裕もないくらい次々とマニュアル会議室に意見が出されていく。富士通の好意によって現状が成り立っている部分と、富士通が商取り引きとして責任を負う部分とが区分けされず、クレームとして直接富士通にぶつけられてしまうし、富士通も事務局である私を介さず直接に返事をしたりで、ちょっとした混乱が起こってしまった。
ユーザーは自分が接する直接的な部分、つまり表面的なインタフェースを題材にして議論をするが、差し迫った内側の問題が他にもあって、事務局としてとりまとめ、OSLの都合(障害の度合い、頻度、技術的な難易度、技術対応者の有無、原因種別など)を確かめながらそれらの問題の優先度合を決めて指示を行う。が、その返事が事務局に返らず、承認ないまま直接にマニュアル会議室でユーザーに知らされたりと、せっかくの有益なコミュニケーション道具がコミュニケーションの混乱を引き起こすという笑えない状況に陥ってしまった。
かつ、大分OSLが開発担当している電子会議以外の基本部分(OSのバグ、テレノートシステムの不具合など)での致命傷が多発するので、事務局より東京富士通テレノート開発部署にOSL経由で問い合わせを行うのだが、返事が遅いし、その返事をくれる部署名や個人名をどうしても教えてもらえない。当時の富士通はユーザーからの仕様の問い合わせは、直接折衝による混乱をさけるために現地窓口を必ずその窓口にしていたようで、エンドユーザーからの接触が行われ得ないような仕組みになっていた。
それはそれでよいのだが、当時のパソコン通信のように富士通がまだ十分ノウハウを持っていない段階では、とても困ったことになる。アスキーの宮崎さんやKDDのVENUSーP担当者、エプソンのモデム開発者である工藤さんなどからのアドバイスはプロ中のプロのノウハウであったし、私も曲がりなりにも、過去に日立製作所で二十四時間運転のリアルタイムシステムをデザインしつくり上げてきた経験を持っており、リアルタイムシステムをはじめて担当するOSLグループにないノウハウを持っているつもり。そうやって出される意見が富士通開発者にしっかりと伝わったかどうか、それが本当にわかったのかどうか、毎日が砂を噛む思いであった。彼らOSLグループを頼りにするものの、名前なき顔もわからぬ東京側の無人挌者へ不信の気持ちがわいてくるし、ついそういった表現も出てしまう。途中に介在するOSLグループは東京側の問題はさておき、「なぜこうまでいわれるのか?」「私たちの好意をわかってくれない」と、困ったに違いないし不愉快であっただろう。
それにダメ押ししたのが原口君の〝訴訟を起こす〟という書き込みだった。彼一流のユーモアなのか、アメリカ生活が長くそういった慣習になってしまうのか、使いやすいシステムを構築することに対する「義務の不履行に関しての賠償責任に対して判例を確立する訴訟を起こす」と堅い口調でマニュアル会議に書き込んできたからたまらない。OSLグループは「もうここまでです」という気持ちで抗議してきた。「訴訟を起こされなければならないことをやっていますか?何なら手をひきたい」とも臭わせてきた。さもあらん。強行すぎて、事務局もかたなしだ。 双方に、事務局の存在を理解してくれるように呼びかける。富士通側には開発方針や異常の対処優先決定などの重要な事項は、事務局である私の了解を得て発表すること、そうでないと私がOSLをカバーできないという旨を伝えた。また、ユーザーの皆さんには、富士通がCOARAー3をつくることに同意してくれた経緯を思い出すように訴えた。六百万円の予算でCOARAー2ハードを一年間以上無償貸し出し、かつ、COARAー3のハードと基本ソフトウェア費用、さらには電子会議開発費用をみれば何千万にもなる投資を我々にしてくれているのであって、互いが互いの良さをマエムキに善意に解釈しなければどうしようもなくなってしまう。ユーザーの横暴にならぬよう、OSL諸君が「そうですか、しょうがないなぁ、じゃぁ頑張ってみますか」と、笑って受け取れるようなコミュンケーション言語を話さなければ何もかもおかしくなってしまう。
雨降って地固まる。
私も事務局としてうまく仲介できない点を反省しつつ、徐々にではあるがシステムが改善されるにしたがいOSLグループとはより一心同体となって開発を進めるようになっていった。
我々の電子会議システムは、開発途中からエンドユーザーから容赦ない厳しい意見にさらされ、それもダイレクトに開発者に意見が(感情を含めて)伝わっていく、その意見を開発者全員で共有しつつ改善点をそれぞれの部分で努力していく、パソコン通信のメリットを生かしたダイレクトマーケッティングに支えられてつくられたシステムである。いわば、開発者にとって涙の出るほどの悔しさや苦しさを経験し、それを乗り越えてつくったのであった。ユーザーインタフェースを徹底的にユーザー自身から鍛えられたのであるから、従来システムに比べて格段に「ユーザーフレンドリー」といわれるゆえんであろう。
東京の何人かのシステムデザイナーがコアラのマニュアルや「電子会議標準仕様書」を希望してきたので送付したが、彼らはデモアクセスでCOARAー3を確認し、「なかなかよくできていると思います。一言で言うと高機能な電子会議システムです。COARAー3がよくないという話はなぜ出てきたのか疑問に思えます」と第三者としてメールを送ってくれた。そういったことでも元気づけられるし、喫茶コアラでとにかく私達を信頼して単純に楽しんでくれる人々のためにも頑張らねばならない。
九月八日、本システムをOSLが商品化して売り出すことに正式に合意した。とくに、全国大会が大分で開かれることが内定していたので、そこでおおいに互いのためにPRし商品として売れるよう努力すること、かつ、コミネット仙台へ利用を積極的に呼びかけることなど、OSLにとってもうひと踏ん張りの苦労をお願いした。
COARAー3が「これでOKです。引き取りましょう」という状況になるのはそれからまだ半年ほど先の八八年一月以降になるのだが、OSL五人の頑張りチームは本当にお疲れさんでした。

コメント
コメントはまだありません。