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コミュニティの広がり
三十人でスタートしたコアラは、二月には百人、一年を過ぎた七月には二百人を越えていた。
その間、間違って入会した高校生はたくさんの人生の先輩達から祝福のメッセージをもらいながら、無事三月に卒業して社会人となった。彼は、卒業の日に「高校生シリーズ」の最終回として画面3-2のように発言した。
最終回 長い間、僕の我まま・暴言・失礼をじっと我慢して聞いて下さってありがとうござい ました。 1回目からをじっくり読みかえしてみると、はずかしくなるような事をズケズケと書 いたもので、いまさらながら自分で感心しています。 ただ、文章の書き方が少しずつではありますが、成長している事に気がつきました。 自信を持てるのは、どの文章も本気で考え、校正し、書き上げたものばかりです。 若者の言葉で言う“マジ”だったのです。 こんなに簡単に自己主張させてくれるメディアに出会えた事を嬉しく思います。 高校生シリ-ズは、僕の“パフォ-マンス・ステ-ジ”でした。 それを聞いて下さり、時には答えて下さる皆様にお会い出来たことは、僕の人生の中 で大きく作用する事と思います。 本当に長い間、ありがとうございました。 |
画面3─2 馬場まさはるくんの高校生シリーズ最終回 |
大人と高校生が実際に面と向かって会話する場合、一般的に行儀よく育てられた高校生であるならば、どちらかというと大人の話を「聞く側」に追いやられ、大人側はなんらかの形で説教っぽく「話す立場」が鮮明になり、結果的に一方向的な会話になりがちだろう。また、面と向かって高校生が大人に反論を行うのはなかなかに難しく、よほどうまい会話術を身につけていないかぎり「なまいきだ」「不遜だ」などというレッテルを張られかねない。しかし、コアラは、高校生だからといって発言量が制限されるわけでもなく、追いついていない会話術に対しては、時間をかけてゆっくりと考えを文章にまとめたあとに〟発言する〟ことで補うことができる。本人の努力によって必ず双方向が保証されているし、この方法は大人と高校生を継ぐ格好の双方向コミュニケーション・ツールになった。
考えてみれば、高校生にとって親よりも学校の先生よりもよりもコアラにより多くを語りかけ、コアラから応えてもらえた。それもさまざまな職業や社会背景を感じさせる人生の先輩達からであって、「私はコアラに育ててもらった」というのがうなずけてしまう。多分、コアラに書かれた多くのお祝いメッセージは本人にとって何よりも大事な宝物になっただろう。
また、人生の先輩達は自分の〟あの頃〟を生々しく思い出させる書き込みに、ともすれば忘れてしまったあの頃の感覚を、呼び起こす喜びを持ったであろうし、同じ年頃の子供を持つ立場の親からは「もっと早くこうやって話ができていたら、自分の息子にもっとしてやれることが…」という感想も寄せられている。
こういった心温かい交流に引きつけられて、徐々にコミュニティが広がっていったのだろう。会員の拡大は話題の多さにつながり、コーナーの数が増えることにもなった。四月に始まったアスキーとの交流コーナー、Travel・レジャー、Booksコーナー、別府湯の町コーナー、三重町コーナー、臼杵市コーナー…。しかし、何といっても一番人気は、久保木マスター、緒方ウェイトレス、馬場料理長率いる喫茶コアラであった。したがって、喫茶への書き込み量は他に比べて圧倒的に多く、データ量の多さが使い勝手を損わないよう「模様替え・新装開店」などと称して別コーナーで新規開催するほどであった。そして、二月の知事の名誉会長就任挨拶以降、女性の入会と発言が目だつようになってくると、緒方好江ウェイトレスを中心に後藤カイチョーの臼杵製薬会社内の若い女性職員達が「お嬢様クラブ」と称して登場するようになり、何となく華やいだ楽しい会話になっていたのだが、五月には東京のネットワーキングデザイン研究所の女性達によって「お姉さまクラブ」ができたのには驚いた。確かにお嬢様と呼ばれるグループは「未成年コーナー」を活躍の場とする十代の女性もいたりでとても若いが、お姉さまクラブは主婦もいたり、澄子さん、高橋滋子さんなどの第一線で活躍する女性達で構成され力強かった。すると、大分のほうも呼応して、私の奥さん尾野桂子もだんだんと発言が増えていく。そして、八月のCOARA‐2スタートは、今までのコーナーという呼び名を「会議室」と呼び変えて、さらに多様な会議室を産み出しやすくさせたのを機に、桂子さんを議長に女性に取組みやすいようなテーマということで「子育て」会議室がオープンした。
サンフランシスコのWELLでは「parents」というコーナーがあるとネットワーキングデザイン研究所の中村さんから聞いていたが、確かに女性には取り組みやすいテーマであるだけでなく、男性にも関係あるし、子育て中、育てられ中、子育て済みなどなど、さまざまな立場で議論できるこの会議室はおおいに繁盛した。喫茶や子育て会議での彼女達の活躍は、パソコン通信をオモチャのごとく楽しむように見え、ともすればムツカシク考える傾向の私に警告を与えるように思えた。まさに、ネアカ、ハキハキ、マエムキの実践グループそのものであった。 そのネアカパワーは、アスキーからパソコン通信を主体にした新雑誌『ネットワーカー』が九月に創刊されたおり、会津さんの発案でその創刊号の巻頭グラビアに「ネットワークは私達のオモチャ箱」と題したお嬢様クラブ、お姉さまクラブの女性達ばかり十数人が登場する紹介記事に結集された。当時は女性ネットワーカーがめずらしく、それが東京から遠く離れた大分で、しかもパソコン技術などに無関心の主婦や若い女性達が自分達がイキイキとするための道具としてコアラを使っている…。確かに創刊号にふさわしい「パソコン通信には何かがある!」ことを予感させるもので、このグラビアはコアラ内外を問わず大きな話題になった。そうなれば、ネットワークコミュニティはさらに拡大する。
また、一般人が主体ということが注目され、それに焦点を置いた取材が多くなってきた。つまりは「パソコン通信の技術的可能性」から「社会的可能性」を模索する動きであり、福岡市の大型書店「りーぶる天神」の都渡正道さんが〟bookサービス〟と銘打って電子メールによる本の注文を受け付け始めるなど、新しい動きが見え始めたのもうなずける。
さらには、NHK大分放送局の柴田実アナウンサーが十月に「FMリクエスト」の会議室をオープンした。喫茶でお客さんが気ままにBGMをリクエストする感覚で、毎週土曜のNHK‐FMローカル番組へのリクエストを受け付け始めた。当然ながらお嬢様クラブに人気があったが、多分、これは日本ではじめて、NHKではじめて電波とパソコン通信を定常的に結び付けた番組であっただろう。柴田チーフアナウンサーに続いて品田アナウンサーがこのコーナーを引継ぎ長寿コーナーになったのだが、おもしろいのは、リクエストしてもそのレコードがたまたま放送局になかったり、時間の都合でかけられなかったりすると、そこは双方向強みで、逐一「これこれこういう事情でそのレコードかけられなかったんだけれど、またリクエストしてね」と、言い訳(?)を柴田・品田アナウンサーが会議室に書いていることだろう。ハガキであるならば、こいった返事は略されていても不思議に感じないが、コアラの中では何らかの双方向の会話がなければその次の交流が成り立たないからだろう。マスメディアとグループメディアの交流はアナウンサーをより身近な人に感じさせてくれた。

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